第368話 我が家への帰還

文字数 2,893文字

* * *


 翌日の朝。星の居る部屋にナース服の女性と共に入ってきたのは叔父を名乗る男性と見たことのない長い茶色い髪に瞳が緑色のスーツ姿の女性が入ってきた。
 その女性は星の顔を見ると笑顔を見せた。星はそんな彼女の様子を見て、悪意のようなものは一切感じなかった。それどころか、自分に対しての好意を感じるほどだ――。

 目を合わせたまま瞬き一つしない星に向かって、叔父を名乗る男性が徐に口を開いた。

「――飛行機を手配した。今から星ちゃんはこの九條君と日本に帰ってもらうことになるけどそれでいいね」
「はい。家に帰れるなら」

 頷く星に微かな笑みを浮かべた叔父を名乗る男性。

 すると、スーツを着た彼女が星の前まで歩いてきて膝を折って目線を合わせると手を差し出した。

「九條綾よ。これからよろしくね星ちゃん」
「……はい」

 差し出された手を星が握ると、彼女も優しく握り返して握手を交わした。その後、施設から黒塗りの高級車に乗った星達は空港へと向かった。

 空港に着くと、空港のロビーには入らず車のまま滑走路の中に止まっている一台の飛行機の前で車が止まる。
 飛行機は星の知っている各羽根の部分にエンジンが二つ付いている巨大なものではなく、小型でエンジンは機体後部に二機付いており、機体の最後尾にもジェットエンジンを付けた一見変わった造りをしていた。

 飛行機に乗るのは初めての星だったが、何故か不安はなかった。だが、それも当然といえば当然だろう。何故なら星はゲーム世界でドラゴンに乗って空を飛び回っていた。

 そんな彼女からしてみれば、飛行機は周りを囲まれているだけドラゴンと比べてまだましなのだ。

 飛行機の搭乗口から伸びた階段に厚い鉄板で囲まれており、外からは見えないようになっていた。しかし、車から降りる時も黒服の屈強な男達がカーテンを持ち搭乗するのを悟られまいとされる厳重ぶりだ。

 黒塗りの高級車から降りて飛行機に乗る時、叔父を名乗る男性から一枚の手紙を受け取った『困ったらいつでも連絡をするように』と言われて……。

 星の予想通り。離陸する時から飛行している間もレイニールに乗っていたことで慣れている為か、全くと言っていいほど動じなかった。
 機内には星の隣に座るのは九條だが、それとは別に後部座席に乗っているのはアロハシャツにサングラスを掛けた男性だった。その両脇にはボディーガードであろうサングラスに屈強な肉体の男性が座っている。

 さすがにそんな人間が一緒の飛行機に乗っていれば不審に思うのが当たり前だ――星は隣に座っている九條に向かって少し躊躇しながら尋ねた。

「――あの……あの人達は一体なんなんですか?」
「ああ、彼等は貴方の代わり……空港に降りることになる。貴方はその後、私と別の場所から自宅に向かう事になるわ。言われていたでしょ? 貴方は命を狙われているって……」
「…………」

 表情を曇らせた星は、自分の膝の上に置いた手を見つめたまま黙ってしまう。だが、たとえ自分の命が狙われているとしても、星には自分の家に戻って確認しておかなければならないことがあったのだ。


 それから10時間ほどのフライトを経て空港に到着した後部座席に乗っていた男性達が降りるのを確認して、腰に掛かっているシートベルトを外そうと手を伸ばす。しかし、星の伸ばした手を九條の手が掴んで止める。

「私達が降りるのはここじゃない。もう一度飛行機が動き出すまで待っていて」
「はい」

 星が返事をした直後、止まっていたはずの飛行機が再び音を立てて動き出す。窓のない壁際に座っていた星は肉眼で今なにが起きているのか確認できないものの、ただならぬ雰囲気に生唾を呑み込んだ。

 遠くに見える窓から差し込む光が絶たれ、突如として機内が暗くなった。すると、数人の私服を着た男女が入ってきて九條にスーツケースを手渡す。

 九條はそのスーツケースを迷うことなく開けると、中には大人と子供用の服がそれぞれに入っていた。九條がそれを取り出し、首を傾げている星に子供服を手渡して言った。

「星ちゃんこの服に着替えて、これからこの人達と一緒に飛行機を出て用意された車でそれぞれに移動する」

 星も無言で頷くと手渡された白いレースの付いたワンピースに素早く着替える。

 着替えた2人は機内に入ってきた者達とともに外に出ると、飛行機は格納庫の中に入っておりその周りには多くの一般車が並んでいる。
 続々と車に乗り込んでいく周囲の者達と同様に九條と星も車に乗り込むと、閉まっていたシャッターが開き中に入っていた車が続々と出ていく。

 一斉に滑走路を走って空港外に散っていく。その中の一台に九條の運転する青い乗用車が車道に出て普通に走る車の中に紛れていった。
 その後も一度、倉庫に入って服と車と運転手を取り替える徹底ぶりに星も心の底では申し訳ないという思いが強くなってきていた。

 大型の四輪駆動車に乗り換えた星達を下ろし、運転手の白髪のアロハシャツの老人が手を振るのに応えた。しかし、星と九條が降りたのはスーパーマーケットだった。
 空港を出た時に着ていたフリル付きのワンピースは、ピンクのスカートに黒のティーシャツに普段の星ならしないツインテールという髪型に黒縁の伊達眼鏡を掛けていた。

 九條の方も茶色の長い髪をサイドに束ね、ゆったりとしたズボンに白いシャツを羽織った姿に変わっていた。

 瞳には紫のカラーコンタクトが入っていて、先程までの彼女とはもはや別物になっている。

「舞ちゃん。今日は何が食べたい?」
「えっと……ハンバーグがいいな……お母さん」

 自然に偽名を使って星のことを呼ぶ九條とは対照的に、星の方は少し言葉を詰まらせぎこちない様子だ。しかしスーパーの中で普通にカートを押して買い物をする姿はまるで本当の親子の様だ――。

 ハンバーグの材料を買って自宅に帰った星が家の中に入ると、家の中には生活感があり冷蔵庫の中にも食材がびっしりと詰め込まれていた。
 
 だが、これはおかしな話だ――何故なら、星はこの2ヶ月間ずっと寝たままだった。普通に考えてこの家に生活感があること自体がありえないのだが。

「あの、これはどういう……」
「星ちゃんが居なかった間、私達の仲間が買い物や掃除などしていたの。貴方は気がついていたかは知らないけど、このマンションの殆どの住人は私達の仲間なの。もちろん、家の維持だけじゃなくて周辺に怪しい人物がいないかも確認しているわ」

 眉をひそめながら怪訝そうに見上げた星が「いつからですか?」と小声で尋ねる。

 すると、九條が「最初からよ」と言い返し、星は視線を逸らして呟く。

「……そうですか」

 俯き少し落ち込んだ様子の彼女の肩に手を置いた九條はにっこりと微笑みを浮かべると、テーブルの上に置かれたエプロンを着て、今さっき買ってきた買い物袋を持ってキッチンに立った。

 手際良くハンバーグを作る彼女を少し離れた場所で見ていた星だったが、フライパンで焼き始めた辺りからそっと彼女の側を離れて家の中を見回って歩く。
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