第196話 無惨の美

文字数 2,760文字

 昨日は星をたくさんいただき、ランキングトップになっていました。195話にたくさんの方がくださったのか、ひとりの方が数話読んで数個くださったのか、わからないシステムです。
 本日の投稿は、ごっそり減るかもしれません……

 コロナ禍で、自殺が増えている。鉄道の人身事故はしょっちゅう聞く。またかと思う。電車が遅れる。賠償額はすごいらしい、という噂(?)
 噂のように数千万から数億円単位にはならないらしいが、遺族には数百万円程度の損害賠償請求がなされることがあるようだ。
https://news.yahoo.co.jp/articles/db5e4c087e56f59d9f7c7ce7aae926d7b9ccb70f?page=2

 人身事故の6、7割が自殺だ。

✳︎✳︎
 歌手、友川かずきには2歳年下の弟、(さとる)がいた。覚は熊代(のしろ)農業高校を出たが、家業の農業を嫌って家出した。覚は、兄かずきと同じように、流れ歩く生活の中で詩作をするようになる。
 一時郷里に帰ったが、昭和55年再上京して兄のアパートに同居した。川崎の建材屋で働くかたわら兄の付き人をしていた。
 しかし半年後、いつもそうだったように突然出奔し、行方の知れないまま4年が経った。
 昭和59年10月30日深夜、覚は阪和線富木駅南一番踏切で、上り大阪行電車に身を投げた。享年31歳だった。
 富木の飯場には、中島みゆきのLP『寒水魚』と10冊の文庫本が、川崎のかずきの部屋には20冊の大学ノートと数十枚のメモが残された。

 かずきの弟、覚は詩を書いていたが、生前は無名の存在だった。彼が自ら命を絶った理由はわからないという。
 淋しさを紛らわすために、多くの人は詩を書き始めるが、詩は決して救いにならない。むしろ、淋しさにはっきりとした形を与えてしまう。
 麻薬中毒の作家、W・バロウズは
「ことばはウイルスだ。言語線を切れ!」
と言ったが、言葉は人間の心を蝕む病原体かもしれない。
 淋しさに形を与え、(こだま)となって無制限に増殖してゆく。本当はきっと、彼は詩に対し、余りにも真摯に向き合い過ぎたのではないだろうか?

 鉄道自殺した弟の身元確認の際、
「見ない方がいいですよ」
と言われたがかずきは、顔半分が飛んでしまった遺体と対面した。それは自分の親族だからというのでなく、一人の表現者が為した事すべてを受け取るために、守らなければならない厳粛な儀式だったのだ。

 弟はすでに肉体を離れ、生まれ故郷の熊代に溶けこもうとしている。生の間に抱き止めてやれなかった以上、生きることが苦しみとなってしまった弟へ、兄からの精一杯の優しさを示し、普通の人間なら嘔吐もし兼ねない状況で、「きれいだ」と言った。
 
 世には、一つの事にのめり込み過ぎたために、懸命に生き過ぎたために、有限の肉体をあっさり捨ててしまう火花のような人たちがいる。
http://antibuddhism.doorblog.jp/archives/21920952.html

無惨の美 (友川かずき 作詞作曲)

詩を書いた位では間に合わない
淋しさが時として人間にはある
そこを抜け出ようと思えば思う程
より深きモノに抱きすくめられるのもまたしかりだ

あらゆる色合いのものの哀れが
夫々(それぞれ)の運を持ちて立ち現れては
命脈を焦がして尽きるものである時
いかなる肉親とても幾多の他人のひとりだ

その死は実に無残ではあったが
私はそれをきれいだと思った
ああ(さとる) 今もくれんの花が空に突き刺さり
哀しい肉のように 咲いているど

阪和線富木駅南一番踏切り
枕木に血のりにそまった頭髪が揺れる
迎えに来た者だけが壊れた生の前にうずくまる
父、母、弟、兄であることなく

最後まで自分を手放さなかったものの
孤独にわりびかれた肉体の表白よ
水の生まれ出ずる青い山中で
待つのみでいい
どこへも行くな
こちら側へももう来るな

その死は実に無残ではあったが
私はそれをきれいだと思った
ああ覚 そうか死を賭けてまでもやる人生だったのだ
よくぞ走った
走ったぞ
無残の美

✳︎✳︎
 自殺というのは、聖書的には殺人です。加害者と被害者が同じだというだけで、これが殺人であることに変わりはありません。ですから、自殺は「罪」です。
 さらに、自殺は周囲の人たちに、「癒しがたい傷」を残します。愛する者を自殺で失った人たちの悲しみは、いかばかりでしょうか。悲しむだけでなく、自責の念に駆られる人も出て来るでしょう。
 人がいつどのように死ぬか決めるのは神だけです。その権威を自分の手に取るのは、聖書によれば、神に対する冒涜なのです。
https://seishonyumon.com/movie/2916/

 11月は死者の月と言われます。日本の教会は11月の意向として、
「孤独のうちに死をむかえた人たち、自死に至った人たち、誕生の前にいのちを奪われた子どもたち」
のために祈るように勧めています。

 ところで、信仰に生きる人々の間でも、自死についての誤った認識がなされていることがありますので、ここで日本の司教団の公式な見解を確認しておきましょう。21世紀の到来にあたって、2001年1月1日に日本カトリック司教団は「いのちへのまなざし」というメッセージを発表しました。
 その第3章「生と死をめぐる諸問題」の二節で「自殺について」取り上げて、61項の終わりに「残念なことに、教会は、
『いのちを自ら絶つことはいのちの主である神に対する大罪である』
という立場から、これまで自殺者に対して、冷たく、裁き手として振る舞い、差別を助長してきました。
 今その事実を認め、わたしたちは深く反省します。この反省の上に立って、これからは、神のあわれみとそのゆるしを必要としている故人と、慰めと励ましを必要としているその遺族のために、心を込めて葬儀ミサや祈りを行うよう、教会共同体全体に呼びかけていきたいと思います」
と綴られています。
 メッセージの60項にもあるように
「自殺者たちの切ない叫びを真摯に受け止め、その心をしっかりと見つめ、その悩みや苦しみに共感し、それに寄り添って生きていけるような社会をわたしたちが築いていけることを願っています。それは一人ひとりの責任なのです」
 身近な人の死について思い巡らしながら、「孤独死」「自死」「胎児の死」で亡くなった方々、そして、すべての死者のために祈る一週間といたしましょう。
https://seseragi-sc.jp/sasage/1611-2.htm

 英国ドラマ『ブラウン神父の事件簿』を観て、聖書に興味を持ちました。
 自殺は罪だから、葬式をしてもらえない。だから殺人に見せかけたり……
 ブラウン神父には見破られてしまうが。
 
 友川かずきの歌『無惨の美』は、拙作チャットノベル『色褪せない音楽』49話にあります。

 

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