第106話 釣りキチ

文字数 1,700文字

 転職した会社で出会った男は3歳年上だという。引っ越し、運送業、男たちの中での事務仕事。残業も多かった。

 彼は……仕事ぶりはよかった。我が家の引っ越しのときは一生懸命で主人は感心していた。

 だから惹かれたのもわかるけど……学歴のない力仕事なんて、いやではなかったの? 時々は仕事のことで言い合いもしたという。

 何人かで食事に行った。男の友達が言った。
「こいつ、ピアノが弾けるんだぜ」
意外だった。それで惹かれてしまったとか?
 ふたりは同じ高校で、釣り同好会に入っていたという。彼は、ピアノが弾けたので文化祭で軽音楽部に誘われ弾いたそうだ。鬼束ちひろの『月光』
 
 あなたも子供の頃には習っていた。家には古いピアノがある。しかし、あなたはすぐに辞めた。練習していると眠っていた。

 男ふたりは共に釣りバカ。釣りするために働き、働いた金はほぼ釣りのために使う。貯金には縁がない。結婚する気もないという。

 それでも……付き合っていた。金がないから、どこにも行かない。旅行なんて1度も行ったことがない。ディズニーランドさえ。気の利いた店にも。誕生日にはあなたがプレゼントしていた。

 何年も付き合っていた。彼の部屋に泊まってきた。そのうち半同棲。しかし、近くに住む両親には会わせてもくれない。結婚する気はないのだ。ならば、早々に別れたら? ご縁がなかったと思って諦めなさい。30になっちゃうわよ。

✳︎✳︎✳︎

 長女が結婚した年の暮れに、ひとり暮らしの息子が、話があるから、と久々に実家に来て私に告げた。息子とは近くに住んでいながら滅多に会わなかった。用があって来ても玄関先。 
 釣りが趣味だった金のない息子は結婚しないと言っていたが、子供ができた、と。彼女がいることは聞いていた。会わせてもらったことはなかったが。

「もう、釣りいけなくなる。ああ、釣りいけなくなる」 

 親は喜んだ。

 息子は仕事が忙しい時期で、なかなか彼女に会わせてくれなかった。焦るのは親の方だ。結婚式は? やらない? そんな……彼女の親御さんに早く挨拶に行かねば……
 待ちきれず、息子に電話して彼女に代わってもらい、女ふたりで会う段取りを決めた。

 近くに住む息子の部屋は大家さんの2階。その下で待ち、我が狭いマンションまで歩いた。印象は……普通だった。息子の彼女。どんな彼女でも驚くまい、顔に出すまい、と心して会った。派手でも(娘たちで慣れてはいるが)、学歴、家庭……

 長女が結婚相手に選んだのは、バツイチの男だった。子供は前妻が育てている。聞かされた時はショックだった。
「あの人じゃなきゃダメなの?」
夫は平気だった。そんなことはザラだと。
 今では息子より話しやすい。
 次女の旦那は親が離婚していて、おかあさんには彼氏がいるけど、うまくやっている。こちらも息子より話しやすい。

「玄関入ったらすぐベランダだから」
狭いけど驚かないでね……

 彼女は……3時間いた。
 面白かった。初対面なのに媚びず、甘えず、次から次に話題が出た。
 我が息子は高校も母親の執念でなんとか卒業させたくらい勉強しなかった。就職も決まらず自分で広告を見て探してきた。運送、引越し業だ。忙しい合間に釣りに行く。
 話してしばらくして……え? 大卒なの? 
 うちの身内に大卒は存在しない。まあ、大卒と言ってもピンからキリ……のピンの方? 親も妹ふたりも親戚も皆大卒だそうな。母方の祖父母は小学校の先生だった。うちのバカ息子とでは釣り合いが取れない。そんなことを言うと、
「彼のが頭いいです」
……雑学は、確かにすごいけどね。

 おとうさんはU航空。キャンセル待ちをすれば無料で乗れたとか。だから、海外旅行は豊富だ。ひとりで行った。ニューヨーク、タイ、ハワイにはおばさんが。我が息子は日本から出たことはない。

 自宅は父方の両親の家を建て替えて住んでいる。その時に息子は引っ越しの仕事で彼女の家族に会っていた。
 よく反対されないものだ。妊娠を告げたら両親は喜んだ、とか。

 帰りにお歳暮でいただいてたビールやリンゴを持たせた。妊娠初期だし、今度、届けると言うと、大丈夫です、と喜んで持って帰った。
 
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み