第32話 昔はよかった

文字数 1,507文字

 すぐ近くの小さな縫製工場で働いていた。娘が幼稚園に行っている間だけ。融通が効いた。ミシンはできないから簡単な作業。糸の始末をして仕上げする。できあがったものを数えて段ボールに詰める。

 家から5分の距離。昼は帰る。時給は平均より安かったが。やがて、景気が悪いのかミシンの女性たちは辞め、ミシンは処分された。残ったのは裁断担当の年配の女性ひとりと、最後に入った仕上げ係の私だけ。
 私は裁断に回された。広い反物を伸ばし裁断機で切って重ねる。ボーダー柄は両端からふたりでハサミで切っていく。重ねたものに、社長が型紙を当てカットする。

 娘が小学校に入ると、放課後工場に帰って来る……家庭的な雰囲気だった。端っこで宿題をする。ランドセルを置いて遊びに行く……ありがたい職場だ。感謝している。
 社長は名ばかりの独身の50くらいの男性。父親が指図していた。父親は地方から出てきて縫製会社に勤め、お嬢様と結婚して婿に入った。景気がよかった時代があった。ビルが建ちヨーロッパへ研修旅行。
 倒産した時、長男の現社長は大学生で、北極に行っていた、という。この地に来て、息子の名で会社を始めた。倉庫のような建物で。息子が3人いたので会社名は三睦○○○。3人仲良く……しかし、あとを継いだのは大学を中退した長男だけだった。
 この方は頭はいいのだろうが仕事はできなかった。信じられないようなミスをした。右袖を多く取る。左袖は足りない……期日に間に合わせ私も残業をして間に合わせた。皆で段ボールに詰め集荷に来てもらい終了……やれやれと思ったら、1箱荷物を乗せ忘れ……そんなことがしょっちゅうで、父親に怒鳴られていた。
 
 母親は毎日歩いて顔を出しにきたが、苦労をしたことのないお嬢様は、落ちぶれても何もできない。何もしない。この方は縫製会社のひとり娘で、爺や、ばあやがいたそうな。家事はできない。料理はご主人や息子がやっていた。滅多に借りないがトイレも、続くキッチンもすさまじかった。
 時々、長野に嫁いだ娘さんからりんごが送られてくると、切って出してくれたがネギ臭かった。包丁をしっかり洗わないのだろう。

 息子3人は有名な✳︎✳︎学園の出身。奥様の指には大きな石の指輪が。きっと偽物だよ。旦那がとっくに金に変えた……長くからいるパートの女性が教えた。
 健康保険だか、年金だかの取り立てがよく来ていたが、いつも払えなかった。
 どちらの母親だかわからないが、おばあさんが亡くなった時には火葬だけだった。
 母親はやがて認知症になった。何もしないのだから早いのだろう。足だけは丈夫でよく歩いた。歩いてどこまでも行ってしまう。父子は必死で働いているのに何の役にも立たなかったが、大事にされていた。

 安い時給、遅配する給料。汚い工場。夏はエアコンもなく扇風機だけ。冬は床がコンクリートだから寒い……そんな愚痴を姉に言っていた。
 ある日、姉がよく行くブティックで募集していた。姉は子供がなく正社員で都心まで通っていた。おしゃれで服には金をかけていた。私はまだきれいなうちにおさがりを貰えたので、服に困ることはなかった。入学式も卒業式も七五三も姉の服を借りた。パールまで。友人にはいいものを着ている、と言われていた。
 姉は店長に、私のことを話した。
「センスがなくても大丈夫ですか?」
「欲しいのは事務のできる子。売るのは私(店長)だから」
 
 仕事は週3日。朝10時半から夜7時まで。下の娘は喜んだ。
「おかあさん、きれいな服を着てるならいいよ」

 私が辞めた後、工場には新しい人が入った。しかし景気は悪くやがて会社はなくなった。社長は会社勤めをしている、ということだ。
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