第83話 おばあちゃんのヴァイオリン

文字数 1,514文字

 5歳の孫が聞いてきた。女の子だ。
「おばあちゃん、ヴァイオリンあるの?」
 幼稚園の友達が習っているらしい。小さなヴァイオリンはレンタルだそうな。
 この孫は早々にピアノを辞めてきた。落ち着かずに先生に呆れられた。
 長女だからなのか、言葉が出るのが遅かった。娘はたいそう心配した。
 3歳児検診のとき、眠い午後に連れて行かれ、
「お名前は?」
と聞かれ、
「お名前は?」
と復唱した。
 目が冴え、たくさんのおもちゃで夢中で遊んでいる時に、名前を呼ばれ振り向かなかった。何度か呼ばれても遊んでいた。
 それで……発達障害グレーゾーンだって? 娘はたいそう心配し、いろいろ調べ、そういう教室に連れて行った。その度、おばあちゃんは下の子の子守だ。

 幼稚園に入っても先生を手こずらせた。教室を飛び出し水溜りで遊んだ。それからは出られないように鍵を閉められた。迎えに行くたび、娘はがっかりして帰ってきた。
 運動会では先生の隣に出て行き、目立って踊っていた。ジャンプ力はすごい。

 比べて3歳の次女はなんの問題もなかった。よく喋る。うるさいくらい喋る。大人の言葉を丸ごと覚え、喋り続ける。娘がイライラしていると、
「ママ、優しくなれ」
と、おまじない。

 この姉妹が遊びに来ると、おばあちゃんは疲れてしまう。女のくせに恐竜が好きで詳しい。1度恐竜ごっこ……なるものをやったら、たいそう気に入られ、遊びに来るたびにリクエストされる。
 ロッキングチェアをヘリコプターに見立て、ふたりを乗せて揺らす。
「恐竜の島から脱出します。さようなら、恐竜さん、あー、ヘリコプターが故障した。墜落しまーす。逃げて逃げて。恐竜に食べられちゃう!」
1度やったら、何度もリクエスト、おばあちゃんはクタクタ。疲れても容赦ない。
「おばあちゃん、恐竜ごっこしてー」
 娘は酒を飲んでくつろいでいる。
 
 この娘、結婚前はよく酔っ払っていた。絶対、彼氏(今の旦那)に呆れられ、捨てられると思っていた……
 変わるものだ。娘時代は部屋もひどかった。朝も起きられなかった。今は、犬も飼っているのでよく掃除をする。行けば、洗濯機が回っている。カーペットまで洗っている。料理もうまいものだ。手早い。キッチンもきれいにしている。

 さて、おばあちゃんのヴァイオリンは電子ヴァイオリン。20年も前に夢中になったヴァイオリニスト、デイヴィド・ギャレット。聴くだけでは満足できずに習ってみたのだ。
 集合住宅で本物は無理だった。2駅先のヤマハで電子ヴァイオリンの教室があった。習ったのは2年間くらいか? グループレッスンは女性ばかり。楽器も買った。

 しかし、音合わせができない。ラの音が耳ではわからない。コードを繋いで周波数でチューニング。弾くまでの準備が大変だった。不自然な姿勢に腕が痛くなる。でも頑張った。頑張り屋だ。
 やがて皆レッスンに来なくなり、たったひとりのグループレッスン。発表会ではよそのクラスの方たちと合同で。弾いたのは『私のお気に入り』と「イエスタデイワンスモア』
 弾けたのだ。当時は確かに弾けた。(初歩の初歩だけど)

 仕事の休みの関係で続けられなくなり、練習もしなくなった。20年ぶりにケースから出したヴァイオリン。すでに構え方も忘れていた。松脂(まつやに)はカチカチに。
 それをふたりの孫が奪い合った。ピアノをやっていた娘は、辞めて何年? やはり20年以上。なのに簡単に音を合わせた。ソ、レ、ラ、ミ……

 絵や手芸ならば作品が残っただろうに。いったい何が残ったの? 忙しい夕方、電車に乗って習いに行った。弾く腕も聴く耳もありゃしない。孫たちのおもちゃだ。楽器買い取りに聞いたら買った時の値段の5パーセントだった。

 

 
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