第122話 放送塔

文字数 1,347文字

 ブティックに勤めていた時、放送塔と呼ばれる人がいた。客は狭い地域の人たち。知り合いも多い。常連客の放送塔さんがいると帰ってしまう客がいた。何を言われるかわからないから、と。ご主人は元警察官。褒賞も受けた方だ。地元の大きな家に住んでいる。
 悪口が3度のごはんより好き……アンテナを張り巡らし、自転車で駆け回る。他人の家の事情に詳しい。人の不幸は蜜の味。
 あそこのご主人は自殺した。あそこの息子は、バカでアホで、誰々に男がいる、女がいる……嘘か誠か知らないが、放送塔は野放しにされていた。
 つまらない人生、と思うのだが本人は悪口を言っている時が楽しそうだ。表情も豊かで生き生きしている。何度かトラブルにもなり、絶交されたり、店にも出入り禁止になったりしたが治らなかった。これは、家族もわかっているのだろう。生きがいなのだ。

 話を聞き出すのが上手い。家族のことを聞いてくる。ご自分の旦那様もお子さんも立派な方だ。お子さんは有名企業に勤めている。私も1度ひどい目にあった。子供のことを聞かれた。
「はい、3人ともバカです。勉強しない。赤点ばかり。バイトばかり」
「どこでバイトしているの?」
「はい、地元の回転寿司です」

 そしたら、わざわざ見に行った。どんなバカだか見に行った。そうして私が休みの時に皆に喋った。
「ブッサイクなの」
 不細工? うちの娘たちは確かにバカだけど、美人姉妹と言われることはあっても不細工ではないと思うが……親の欲目か?
 娘に聞いたら同姓がもうひとりいた。娘はそんなばーさんのことなど歯牙にもかけず笑っていた。 
 これは頭にきた。顔には出さないが……いつか店を辞める時には、鬱憤を晴らしてやろう。
 あなたへの悪口がいちばん多かった、と。

 施設にも放送塔がいる。一見柔和で優しそうな感じ。入ってきた職員やパートは最初はホッとする。頭もしっかりしている。すみません、ありがとうを連発する。だから、騙される。
 聞き出すのが上手い。耳は少々遠いが。2ユニットの職員、パートのことは誰よりも詳しい。放送塔だから話してはいけない。職員が腰痛になったことも、熱を出したことも、プライベートなことは話してはいけない。 

 新しいパートのAさんが入った。入った途端、コロナで保育園が休み、ワクチンで副作用が……まともに話したのは昨日が初めてだった。その前に、Aさんが来る前に、放送塔をお風呂に入れた。Aさんは、私が休みの日に足浴をしていた。
 
「上の子が19歳。税理士だか弁護士になるんだって」
「わあ、すごいですね」
「下の子が4歳。保育園」
「……」
「片親だって」
 
 Aさんに、次の方の入浴を見学させた。注意した。プライベートなことは喋らない方がいい、と。なんたって放送塔。皆に喋られるわよ。
「体重以外はいいんです」
 Aさんは喋った。ほとんど初対面の私に。入浴介助を見ながら。洗われている方は耳が遠い。それでもわかる。気分を害しているのがわかる。話題を変えた。お尻、まだ痛いですか? ナースに見てもらいましょうか? 

 Aさんは話題を持っていった。
「痔なんです。ウォシュレットを強くしすぎて……」
だから、そう言うことを喋ってはいけない。
 苦労している。苦労しているのに明るい。明るすぎて、喋り過ぎて不安だ。
 

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