第105話 久々の外食なのに

文字数 1,409文字

 雪のおかげで夫のゴルフが中止になった。浮いた金で食事に行こう! ちょうど私の誕生日も近かったので決まり。本当に久しぶり。コロナ禍だけどゆったりスペースの店だし、この時期、混んではいないだろう。早めの夕食だし。

 年に1度は利用していた。ちょっと高いが落ち着ける。元々は父の法要後の会食に使っていた。友人とのランチにも。身内の親睦、孫のお宮参り、七五三など……歩いて行けるので酒も飲める。そして記念の写真を撮ってくれる。

 記念日のハガキにはしゃぶしゃぶだと、肉が1人前サービス。シャンパンかケーキもサービス。でも、2月だから、カニすきにした。本当はフグが食べたいのだがやっていなかった。

 久しぶりに化粧をして、髪にもドライヤーを当てボリュームを出す。セーターの上にスワロフスキーのロングのネックレス。久々の登場。孫が一緒だとつけられない。これは還暦のお祝いに夫がプレゼントしてくれたもの。ひとりで買いに行き、店員に選んでいただいたそうだ。1キャラのダイヤより価値がある? 
 内緒だけどブティック時代に買わざるを得なかったジュエリーがいくつかある。ロングのサンゴのネックレスは桁が違うけど……内緒。

 前菜、揚げもの、カニすき、雑炊、アイスクリーム……歳だからそんなに食べられるわけはないのに、網焼きステーキとマグロの寿司まで頼んだ。カニすきが始まる前に、すでにおなかはいっぱい。残すのはもったいないと思ってしまう歳だ。

 テレビがないと話題に困る……今までは梅酒サワー1杯で最後まで持ったのに、おととしから果実酒にはまり、梅酒作りは2年目。イチゴ、キュウイ、ネーブル、焼酎にブランデーまで。いくらか飲めるようになったのだ。梅酒をロックで。自作のとどちらがうまい? どうだろう? こんな少しで600円。ならば作る価値があるか……

 夫は燗酒。こういう店は食事代より、酒代がかかる。孫のお宮参りの時、集まったのは11人。あの時はすごかった。ワインにウイスキー。あの時は孫の出産のあと、息子がバイク事故で入院。落ち着いてからのお祝いだった。親がかけていた保険が降りたので大盤振る舞い。お嫁さんのおかあさんもほろ酔いで喜んで帰った。

 そんな思い出話をしていると、私の後ろの席で言い合いが始まった。
「いつもそうなんだから。恥ずかしいと思わないの?」
 客はまあまあの入り。和んだ雰囲気をぶち壊す女性の大声。男性の声はひとことも聞こえてこない。すぐ前の席の私は居心地が悪くなる。なにも、久々の記念日にやらかさなくても……従業員がメニューの説明をしている。なおも続く大声の罵り声。
「最低よね」
最低はどちらなの? 夫婦なのかなんなのか? あとから見えたカップルの顔は見ていない。

 しばらく居心地が悪かったが、聞こえないふりをして鍋をつつき、必死にカニを食べた。ぎっしり詰まったズワイガニ。スーパーで正月に買ったのは塩辛く痩せていた。満腹の後には雑炊も平らげた。デザートのあと、写真を撮っていただき、お会計。後ろの席はすでにいなかった。食べて帰ったのか? 最後まで男の声はしなかった。

 もう……喧嘩は嫌だ。喧嘩するくらいなら、うわべだけはうまくやる。うまくね……うわべだけだと思われないように。
 近頃思う。死なせてやる。私と結婚してよかった、と思わせながら。私と一緒になってよかった……そう思わせながら逝かせてやる。それが私の最後の仕事、勝利……



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