第171話 父と娘 3

文字数 1,169文字

 川沿いをウォーキングしていたら、向こうから自転車が2台やってきた。押しながら前後で歩いている。女性の方は隣に住んでいながら対面して話したことはない。黒い服にサングラス。ひとりだったら誰かはわからなかっただろう。後ろの小柄なお年寄りは紛れもなく隣の認知症の……夜中に大声で父子喧嘩したり、ベランダで叫んでいたじいさん。

 そういえば、ここのところ、声を聞いていないね、なんて夫と話していた。夜中の喧嘩もなくなった。少し前、1度あったがすぐに収まった、それくらいはどこでもやるだろう。
 ベランダで叫ぶこともなくなった。まさか、施設に入ったとか? 薬を処方されてる? まさか、死んでるんじゃ……なんてことも考えていた。そして、そんなことも忘れていた。

 2ヶ月くらい前、まだ喧嘩の絶えなかった頃、マンションの下でふたりを見かけた。2台の自転車で出かけるところだった。じいさんは大きなビニール袋に空き缶をたくさん詰めたものをハンドルに下げていた。これは元気な頃のじいさんの日課だった。集めた空き缶を部屋に持ち込み、エレベーターを汚し苦情もあったろう。おそらく、出かけて帰り道がわからなくなったこともあるのだろう。夜中の喧嘩で娘が怒鳴っていた。
「もう、迎えに行かないからね」

 まさか? それが、娘も付き合って空き缶集めか? はたまた、現金引き換え場所まで付き合うつもりか? 往復で1時間以上かかるはず。

 夫が言った。娘が考えを変えて、寄り添うようになったのだ、と。まさか? この暑い中、80歳のじいさんと、50歳くらいの娘さんが……?
 私たちも出かけ、戻ったとき、偶然親子も自転車で帰ってきていた。

 この間は、ゴミを捨てて戻ると、デイケアの女性が隣の玄関の前にいた。私はドアのミラーから覗いて確かめた。じいさんは嫌がらずにデイケアに行った。

 穏やかになったようだ。娘が寄り添って? 誰かに助言されたか、本でも読んだか? 感情に任せて、夜中に隣のことなどお構いなしに怒鳴っていた娘が?

 穏やかなのは、夜中静かなのは助かる。娘さんに敬意を表したい。
 職場の施設のスタッフにもいる。真面目で、融通が効かない。
『食べないんですか? 片付けちゃいますよ。〇〇さんのために言ってるんですよ。薬、飲んでください』
 甲高い声で、また始まったと思ってしまう。杓子定規で、認知症のお年寄りに喧嘩腰になっていく。最後に〇〇さんは言い放つ。
「うるさい!」

 どうか、隣の平和が続くようにと願う。隣にいながらなにもできないが。してやりたいとは思うのだが。娘さんが避けている……なんて思っていた。しかし、思っていた娘さんのイメージとは違うようだ。

 父親の介護、いつ終わるともわからない。地獄のような日々が続く……なんて勝手に思っていた。こんなに良い方向に変われるものなのか?

 
 

 
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