第95話 介護は大変

文字数 1,168文字

 夜中の2時。隣室の声で起こされる。父親が認知症のせいか時間がわからないのだろう。娘が注意する。
「夜中なの。夜中の2時なの」
父親は耳が遠い。声はだんだん大きくなる。娘はしぶとい。適当なところでやめておけばいいのに引き下がらない。認知症の耳の遠い父親と同じ土俵の上で戦っている。だから延々と続く。声が大きくなっていく。もう、隣に聞こえる、と考える余裕はないのだろう。適当に宥めてしまえばいいのに。話を合わせてしまえばいいのに。否定してはいけないのに。
 父親は興奮して物に当たるのか? 音がする。
「私が先に死んじゃう」
娘が言うが聞こえないから何度も言う。
「私が先に死んじゃう」

 もう土曜日だ。娘は仕事は休みだ。父親はデイケアのはず。しかし、デイケアの水曜日に自転車に乗っていたのを見たことがある。
「ねえ、明日の朝、病院だから……寝て」
娘の声が優しくなってまだ続いている。
 父親は自転車に乗れるくらいだから介護認定はどのくらいだろう? 施設に入れるのはまだ無理だろう。

 私の父は姉の家で暮らしていた。姉夫婦はフルタイムで働いていたので、私が入浴させに行った。性格は温厚で怒ることはほとんどなかった。私のほうが怒っていた。子育て中の悩みの多いこと。なにもかもうまくいかない……極め付けが親の介護か……むしゃくしゃして当たり散らすと、幼稚園の娘が私のシャツを引っ張った。
「やめなよ、おかあさん」
娘にも当たった。
 自分の親を看るのは難しい。
 出来の悪い子供達の勉強をみたことがあるが、あれもだめだ。怒りが爆発する。

 施設では10人の入居者を基本ひとりで看る。夜勤は2ユニット20人。早番と遅番がダブるのは4時間だけ。その間にふたり交互に休憩を取ったり、ひとりは入浴介助したりするので楽になるわけではない。夜勤は仮眠室もあるのだが、そこで眠ることはできない。隣の旦那のようにひと晩中眠ってません……という入居者はよくいる。
 自分の親ひとりに手こずっているのに、ひとりで大勢をみている。朝、私が出勤すると、怒鳴っている職員がいる。10時間働いているのだ。気力も体力もなくなる。怖くて声もかけられない。
 帰る前に寝浴の浴槽で休んでいく職員もいた。バイクや車で帰るのは心配だ。

 夜中ナースコールを40回鳴らす、90歳をとうに過ぎた方は頭も口も達者だ。
「お金払っているんだから……上に言いつけるから」
頭は達者だが介護保険のお世話になっていることはご存じない。
 頭が達者なのも気の毒だ。もう、トイレに座らせることは禁止された。肩を脱臼してしまう。ところが、何度言っても
「トイレ、トイレ……」
と車椅子で自走しようとする。
「トイレはダメなんです。パットにして大丈夫ですから」
納得したのかしていないのか、すぐにまた同じことを繰り返す。それもかわいそうだとは思うが。
 
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み