第115話 触れる

文字数 1,064文字

 先日、学童の勤務時間中ずっと大雨だった。仕方なく室内でも出来る集団遊びが何かないかと思案したところ、すぐに思いついたのが腕相撲トーナメント。次に思いついたのが4人のグループをつくって新聞紙の上に背中合わせに立つゲーム。4人全員が立てたなら新聞紙を折りたたんで半分の面積にして同様に4人で背中合わせに立つ。これを繰り返してどのグループが最後まで残れるかを競う。その他にもレクリエーションブックを参考にしながらいくつか考えたのだが「これは面白い!」と思うゲームにはみな共通点があった。その共通点とはスキンシップだ。先にあげた2つのゲームにしろ、昔からある椅子取りゲームにしろ、どれもスキンシップを図るものだ。成る程と思った。子供たちはスキンシップをとることが好きだ。ほっといても子供同士じゃれ合うし、くっついて本を読む。私にだって「ハセッチ~。」と言いながら手をつないでくる。いくら3密を避けろと言われてもこればっかりはどうしようもない。基本好きなものには触れていたいのだ。ごくごく自然な感情と言える。当然というべきか私の考えた案は皆却下になってしまった。コロナウイルスの影響下では仕方ない。それはいいとして、スキンシップについて考えているうちに、これまた先日読んだ又吉直樹さんの『人間』のワンシーンを思い出した。以下抜粋。

「クリント・イーストウッドに好かれるために勉強しているような奴らは、結局クリント・イーストウッドの体長を測ったり、体重を推測したり、誕生日をあきらかにして浮かれてるだけやねん。ほんで、少しだけ優秀な誰かが、ようやくその内面に迫るみたいなことやん。遅いねん」
「遅いな」
相づちを打ちながら、影島の言葉を頭の中で反芻する。
「アホの方が圧倒的に早いねん。アホはクリント・イーストウッドに触れんねん」

 子供って天才だ。本能的に大切な事がわかっている。でもいい大人になった我々は好きだからってちょっくら触れるわけにはいかない。だからこそ、欧米の人々はハグや握手を1種の型としてあいさつに取り込んでいるのかもしれない。そんな事を思った。
話しは戻るが、私が幼稚園児の頃、街のしゃれたパン屋さんに連れていかれると、決まっておいしそうなパンを指先で「ツンツン」したそうな。仕方なく、私が「ツンツン」したパンを全部トレイに載せた母は「今度来るときは「ツンツン」しちゃだめだよ!」と私と約束した。次にそのパン屋さんに行った際、なんと私は指でなく鼻先をパンにくっつけて「クンクン」したそうな。我ながらやっぱり子供って天才だ!(笑)。
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