第330話 声に出せばいいってもんじゃない!

文字数 1,235文字

 私の友人に面白いやつがいる。面白いといっても何もジョークやユーモアに富んでいるというわけではない。その友人のキャラクターが私の興味を引くのだ。その友人はめったなことでは怒らないし、悲しんだりもしない。また、誰かに深く同情したり、共感したりという事もない。いつも穏やかで、中立的だ。ところがこの一見、情に薄い、感情の起伏に乏しい友人がカラオケを歌うと、こちらがびっくりするくらいうまい!ただ単に技術的に優れているというだけではない。深い情感がこもっているのだ。でなければあれ程に聴く側の心を震えさせられない。

 そう、彼は実は感情の起伏に乏しいわけでもなければ、情に薄いわけでもない。ただ普段はそれらをコントロールしているのだ。だからあのような情感のこもった歌を歌えるのだ。

 以前このブログにも書いたが、むかついたときに「ムカつく」つらいときに「つらい」と声に出していってしまうような輩には情感のこもった歌など歌えない。悲しいけれどそれを表に出すことができない。そのような人が歌う歌にこそ本来の悲しみが宿るのだ。だから彼とカラオケに行って初めて彼の本質に触れたような気がした。学生時代からの付き合いだが、この年になってやっとそれがわかった。人間って面白い。

 ひるがえって私の勤める学童の子供たちはどうか?例の彼とは対照的だ。辛けりゃ「つらい」腹が減れば「腹減った」と素直に言葉が口をついて出る。まあ、子供だから当然といえば当然だ。彼・彼女らが今後の成長過程でどのように変わってゆくのか楽しみでもある。同時に誰もが歌い手や芸術家なわけではないから、悲しいときに悲しいと大声で言ってもそれはそれで何の差支えもない。ただ、それがひとたび集団としての一面を併せ持った時には話は別だ。その集団の方向性を決定するのは、いつだって声に出す側だ!そしてその声は多くの場合短絡的で、無思慮だ。そんなときは声に出せない、もしくは声に出さない子供たちの意見も聞いてみたいものだと思う。きっと思慮深い、きれいな音色を奏でるのではないか?

 話は戻るが、私ハセガワもそこにカラオケがいける口だ。というのも、例の飛び切りカラオケの美味い友人からこんなことを言われた。

「ハセガワはその歌詞を訳してから歌っているの?」

私がoasisの『ワンダーウォール』を歌った時のことだ。私は正直に

「まず、メロディーから入って、次に歌詞に興味を持つ。そして和訳を読んで、その後ちゃんと英語の単語と照らし合わせながら理解する。そんで今歌っているって感じだよ。」
と答えた。

どうやら私の『ワンダーウォール』は彼にとって聞き心地の悪いものではなかったようだ。

There are many things that I would like to say to you, but I don’t know how

お前に言いたいことが山ほどあるのだが、何から切り出したらいいのか・・・。

Oasisの楽曲『ワンダーウォール』の歌詞より。
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