第62話 士は己を知る者のために・・・

文字数 1,071文字

 私は決して器用な方ではない。手先はともかく、立ち回りとか、生き方とかむしろ不器用すぎるくらいだ。特に3~4種類の物事を同時進行で進めるというのが非常に苦手だ。学童の仕事でも、皿を洗いつつ、子供の話に耳を傾けつつ、何時には習い事のお迎えが来るので用意をするように伝え、等々という事が多々ある。そんな時は文字通りてんてこまいだ。逆に何か一つの事に集中して深く思考するのは得意だ。これが私という人間の特性なのかもしれない。うちの母などに言わせるとそれが障害の後遺症(高次脳機能障害)だというのだが・・・。私としては障害を「できない」理由にはしたくない。そういう風に自分を甘やかしたら、きりがないからだ。もし万が一そのような症状があるのだとしたら、それとうまく付き合っていく必要がある。と、そんなことを考えていたら、ある同僚の方が
「長谷川先生はあれでしょ?一つの事に集中しちゃうタイプでしょ?」
と聞いてきた。私は
「そうなんです、1つの事に集中してしまって、いくつものことを同時進行で頭に留めて置くって事が苦手で・・・。そのせいでご迷惑かけちゃっているかもしれないんですが・・・。」
「うん、見てりゃ解るよ。私なんかは子育てしてきたから・・・。子育てってそういうのだもん。学童も子育てだからね・・・。そういう意味じゃ、もしかしたら向いてないかもね(笑)」

 嬉しかった。まず自分という人間を正しく理解してくれたことが。次に「もしかしたら向いてないかもね」と正直に伝えてくれたことが。代表の先生にもこの事を伝えてみた。すると
「私もそうだよ。私も何時もそういうのを10個くらい抱えている。何か一つに集中出来たらよいけど、そうもいかない。だから人に任せることにしている。あとは信用する。何かの職人だったら、自分一人で自分の仕事だけに集中して納得のできるものをつくれればそれでよいのだろうけど・・・。でも自分一人じゃできることに限りがあるしね。あとは慣れて自分を変えていくしかないね(笑)。」との事。私は
「まだ少し慣れるのに時間がかかるかもしれませんが頑張ります。よろしくお願いします。」とお伝えした。

 中国の故事に「士は己を知る者のために死す」というのがある。男とは自分を正しく理解してくれた者の為ならその命すら惜しまない。という意味だ。逆に言えば自分を正しく知ってもらう事がいかに難しいか?を説いたものでもある。現代の社会でも十分に通用する言葉だ。自分の事を解ってもらえるという事は本当に有難い事なのだ。

 理解して貰ったからには、俺も頑張らねば!そう思った。
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