第337話 脱皮

文字数 716文字

 学童の子供たちを見ていてというだけでなく、私の40数年の人生の経験上、確かにそう思うのだが、

 力に簡単になびく奴ほど、やはり力にものを言わせようとする。
力にものを言わせようとする奴ほど、やはり簡単に力になびく。

 その力が腕力であれ、恐怖であれ、ある種のカリスマであれ・・・。反対に

 力になびくのを嫌う奴ほど、やはり力にものを言わせるのを嫌う。
力にものを言わせるのを嫌う奴ほど、やはり力になびくのを嫌う。

 そんな傾向があるように思える。自分で言うのもなんだが、自分が後者のタイプで良かった。それが私の私たるゆえんだ。自画自賛。独立不羈ってそういう事だと思う。

 そして基本的に民主主義とは後者の後者による後者のための制度だ。シチズンってそういう存在だろうと思う。

 しかし悲しいかな、このシチズンが人口に占める割合が、この国では圧倒的に少ない。その理由は歴史を鑑みれば今更語る必要のないことだ。(小学生の読者の皆さんはこれから勉強するよ)だからと言って今更、革命どうこうなどと論じるのはナンセンス極まりない。もっとスマートでソフトランディングな形で【大衆】は【シチズン】へと脱皮するべきなのだ。そのために必要なのは何か?

 それはやはり教育なのだろうと思う。

 この国を本物の民主主義へといざなう。それが私が文章を書く理由の一つでもある。(随分と大きく出たものだ(笑))

 問題の質如何にもよるが、ペーパーテストでハイスコアをたたき出すだけの歴史教育なんてクソだ。

 では私にできることは何か?

「現代の松下村塾というのも面白い(笑)」などと冗談交じりに考えてみる。

 そんなわけで、今日も片道45分かけて職場へと向かう。
 学童で働くのも悪くない。
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