第225話 祈り

文字数 896文字

 以心伝心という言葉がある。もしくはシンクロする、でも共鳴するでもよいし、阿吽の呼吸でも何でもよいのだが、集団として成熟してくるとこれが生じる。例えばフットボールのチームでもオーケストラでもよいし、職場でも、家族でも、長い時間を共有していると口に出さずとも気心が伝わるようになる、共有する無意識とでもいうべきものが生じる。そしてそれがしっかりしているほどチームとして集団としてうまく機能する。まさに以心伝心なのだ。脳の仕組みがまだ解明されないから想像の域を出ないのだが、そのような仕組み、電気信号なのかシンクロと呼ぶべきなのかわからないがそういう力が我々人間にも(無論、群れで生きる野生動物には人間以上に備わっていると思われる。例えばイルカとか)備わっている。経験的にわかってきた。まさに経験的に。
 で、私事なのだが最近職場で暇なときは、「部所の皆さんがのびのび活き活き働けるように」と考えている。以心伝心で伝わればよいし、伝わらなくても暇がつぶれて一石二鳥だ。ある時、ふと気づいた。これはひょっとして「祈り」という行為かと!だとしたら「祈り」というのも馬鹿にできないぞと。宗教とか神様がどうこうという話ではない。私のうちは仏教だが私は自分の宗派すら知らない。ついでに言うと日本史に詳しくないので宗派の違いもよくわからない。基本的に宗教に無頓着な人間だ。だから宗教で出てくる「祈り」というのが私はなんだかよくわからなかった。だが、この以心伝心が「祈り」の根底にあるのだとしたらちょっと意味が分かる。みんなで以心伝心しているのかもしれない。問題は何を以心伝心するかだ。私ごときでは世界の平和とかまで想像が及ばないが、せめて家族や友人や職場の人たちが活き活きとのびのびとしていて欲しいとぐらいは思う。これが私の「祈り」の及ぶ範囲なのかもしれない。これがでかくなると人はそれを宗教と呼ぶのだろうか?もしかするとこういう力は子供のほうが大きいのかもしれない。なんせ大人になると目先のことでいっぱい、いっぱいだから。そう考えると「イマジン」という曲をつくったジョンレ・ノンはすごい人だったんだなと思う。
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