第272話 挑戦

文字数 1,634文字

 私が“挑戦”と言う言葉を初めて意識したのはマンガ『スラムダンク』を読んだ時だった。山王工業のエース沢北の父のセリフ「彼もまた挑戦を生きがいとする人間なのか 流川君。」がそれだ。私はマンガの中の沢北や流川と異なり挑戦を生きがいとしてきたわけではない。都市部と違い、私の生まれ育った山間部の小さな町では中学受験なんてもちろん無かったし、高校受験だって選択肢は2~3しか無かった。サッカーは好きだったが、大きな街や市のチームには負けて当然だったし、大学受験も自分の力に見合ったところに入れればそれでよかった。私が“挑戦”と言う言葉を改めて意識したのは就職してからの事だった。

 どこかの高校の歴史教師になれればいいな、でも今さら暗記重視のペーパーテストは受けたくないな。と都合の良いことを考えていた私は、運よくと言うべきか?ペーパーテストをほとんど重視せずに論文や模擬授業を評価基準とするある女子校に勤めることになった。その高校での日々はとにかく忙しかった。初めの頃、授業準備のコツがわからず四苦八苦していた私は同じ社会科の年配の先生にいろいろとお世話になった。他の科の先生にもクラス運営などの面で大変お世話になった。良くしていただいた先生方には感謝が尽きない。

 そうして2年目3年目になって授業のコツが解ってくると仕事が面白くて仕方なくなってきた。その都度の授業のポイントをどういう切り口で、どういうロジックで、どう視覚的に解りやすく伝えるか?時にはそこに個人的な解釈を加える事もある。その作業は本当に楽しいものだった。そしてこちらが努力すればした分だけ、それがリアクションとして帰ってくる。毎日が充実していた。私はもっと良い授業が出来るようにと日々授業準備にいそしんだ。

 ただ、そういう私の姿勢は他の教員との間に軋轢を生んだ。教師とは学校とは、いわゆる自由競争の世界ではない。特に私立の女子高ではそれが顕著だ。“学校”と言う閉じられたコミュニティーの中で他の教師と協調して、そのコミュニティーが円滑に維持運営されるようおもんぱかることも重要な仕事なのだ。そこでは目立つ事や、“追い越す”事は望まれない。大切なのは調和であり、それが全てだった。

 でも若かった私にはそれが解らなかった。と言うかそこまで頭が回らなかった。ただ好きな事、面白い事をとことん追求してみたかった。自分がどこまで出来るのか?それこそ挑戦したかった。自分が実は挑戦を生きがいとする人間だと知ったのは、この時が初めてで、どうやら少し遅すぎたようだ。

 結果として私はその女子高での職を辞することになった。おまけに精神を病んで長い療養生活に入ることになってしまった。今にして思えば、ちゃんとペーパーテストの勉強をして公立の高校教員になり、県下の進学校を目指すという生き方もあった。それこそ私程度の能力では口にするのもおこがましいが、灘や開成の教員を目指すって道だってあった。自分が逆立ちしたって敵わないような人たちに交じって、そこからできる限りのことを吸収したい。そういう欲が私にはある。意外と向上心があったんだなと自分でも驚いている。

 まあ、そんなこんなで私の挑戦は終わった。気がつけばもう若くはない。新たな挑戦が出来るとすればこのブログぐらいのものだ。このブログがどれだけ、読んでくれた人の心に響くか?それが私の新たな挑戦だ。そして出来る事なら印税収入も得たい(笑)。

 冗談は良いとして、もし、この文章を読んでくれた人達の中に、挑戦すべきか?否か?迷っている若人がいるなら、是非挑戦して欲しい。挑戦しない人生なんて気の抜けたコーラのようなものと言うか・・・そもそも生きるって挑戦する事なんじゃないのか?と私などは思う。後々、「挑戦しとけばよかった」と後悔しないように、また、私のように「己を知るのが遅すぎた」などという事のないように、高い志をもって挑戦して欲しい。それがこのしがないオッサンの望みなのだ。


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