第159話 目に入れてもいたくない存在

文字数 882文字

 《目に入れてもいたくないほど可愛い》という表現がある。可愛いから目に入れてもいたくないという意味だが、この意味を《目に入れてもいたくないほど小さいから可愛い》と解釈するようになって久しい。どういうことか?自分にとって目に入れてもいたくないほど小さな存在(自分の意志でどうにでもなる存在)だから可愛い、という事だ。これは「可愛い」という言葉の語源にさかのぼる話になるが、自分より圧倒的に弱い立場にある存在を指して、それを「可愛い」と表現しているのだ。解りやすい例で示す。ジブリの作品で「借りぐらしのアリエッティー」という作品があった。この作品で主人公の少年が小さいアリエッティーを自分の掌の上に乗せようとするシーンがある。だがそれを見た宮崎駿氏が厳しくダメ出しをした。宮崎氏曰く「そんなことをしたら愛玩動物になってしまう!」との事。この制作裏話を聴いた私は「さすが宮崎駿」と思ったのをよく覚えている。私がいわゆるペットという存在を好まないのもその辺と関係している。できる限り他者と対等でありたいと思うのだ。その意味で「可愛い」という表現を私はあまり好きでない。また、親子関係、師弟関係などでも、これについて面白いことが言える。親にしろ師にしろ、子が弟子が自分にとってとるに足らない存在でいる限りにおいては非常に可愛がる。しかし、その子が弟子が大きくなって、自分を超えていくときどうするのか?生涯現役という方もいるだろうが、やはり親方になったら弟子と同じ土俵で相撲を取るべきではないのだ。その辺が人の器というものかなとも思う。
 さて、ここまで読んでいただければ解るかもしれないが、私はディズニーランドというものが好きになれない。と言うか馴染めない。いい大人がディズニーランドで馬鹿になれないなんて、それこそ大人げないとおっしゃる方もいるかもしれないが、それが私なりの他者に対するスタンスなのだと思う。良くも悪くも。
 皆さんはペット好きですか?ティズニーランド馴染めますか?「自分ダメだ。あーいうの馴染めない」という方、私と気が合うかもしれません。良くも悪くも(笑)。
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