第251話 チーム

文字数 1,144文字

 先日行われたサッカー天皇杯決勝。浦和VS大分は劇的な幕切れとなった。今シーズン限りでの戦力外通告を受けていた槙野選手。彼の終了間際のヘッドが決勝点となり、浦和を勝利へと導いた。槙野選手は文字通り浦和での有終の美を飾ったのだ。

 チームにはいろいろな存在が必要だ。キャプテン、エース、ムードメーカー、縁の下の力持ち・・・等々。このうち槙野選手はいわゆるムードメーカーだった。そのムードメーカーを戦力外通告した、つまり“切った”フロントにはそれなりの思惑があったと思われる。実はムードメーカーとは頼もしい存在であると同時に難しい存在でもある。何故なら同じ人物が長らくムードメーカーの座に居座り続けると、其処には嫌がおうにも“チーム内政治”が生じてしまうからだ。つまり、言い方は悪いがムードメーカーにはチームを私物化してしまう恐れがつきまとうのだ。その辺りを浦和のフロントは敏感に感じ取っていたのではないか?それが今回の槙野選手の放出につながったのでは?と私などは見ている・・・。ところがその槙野選手に最後の最後、救われたのだから面白い。

 勝利が至上命題のプロスポーツにおいては、今回の浦和の様に選手を“切る”事は致し方ない事かも知れない。でも我々のような一般人が属する会社組織や、草スポーツでは話が別だ。チームは家族だ。とは言わない。でもチームは仲間だ。とは思う。仲間である以上“切る”つまり排除の論理で物事を進めてはならない。理由は簡単だ。もし必要がなくなったから、もしくは使いづらいから“切る” “排除する”という論理がまかり通るなら、今度は自分がその立場になった際、「今度はいつ自分が切られる番か?」という恐怖におびえなければならないからだ。それではチームの空気がギスギスしてしまう。

 だから、どんな組織であれ“排除の論理”で物事を進めてはならない。と言うのが私の流儀だ。ここまで書きながら何だか俺も日本人だなぁと思った。出る杭打つ、足の引っ張り合い。等々の悪しき慣習は以前残るものの、会社は家族だ!チームは仲間だ!という発想自体は悪いものではない。問題は無駄な嫉妬心だ。これさえなくなればこの国はいい国なのになぁと思う・・・。ただこの問題は厄介だ。赤の他人や雲の上の人なら嫉妬することもない。家族や仲間だからこそ嫉妬が生まれる。その意味で矛盾しているのだ。この矛盾をどう整合するべきか?まだ私には解らない・・・。

 話しはそれたが、この文章をお読みの方の中に、もし組織内で、チーム内で自分の居場所が不確かになっている人がいたら(私などもその一人なのだが・・・。)まずは安心してほしい。そして次の言葉を胸に刻んで欲しい。
「大丈夫。誰だって調子の悪いときはある。自信を持って!頑張って!。」
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み