第212話 他者への興味

文字数 1,636文字

 昔ある友人が言っていた。
「スウェーデンの小学校では学校を欠席する生徒がいるとその生徒の椅子の上に、その生徒の代わりにお人形さんを置く」
当時何の事なのかわからなかったが、今はなんとなく解る気がする。私が思うに他人に興味がないのではなかろうか?だから「今日はこの子が休んでいるのだよ!どうしたのだろうね?」と意識させるために人形をその子の席に置いているのではないだろうか?

 私は行ったこともないのにスウェーデンという国を「税金は高くとも、高福祉で、医療費・教育費を国が負担、政治家は他の職業と兼務、政治家としての給料は微々たるもの。そして投票率は高い。等々の表面的な情報を耳にし、いわゆる北欧の高教育・高福祉型国家の典型としてすごく理想的だなと思っていた。日本もそういう国家像を理想とすればよいのに・・・人口や国土の広さ等の諸事情から難しいのかな?などと思っていた。
 それに対し友人はこの話を持ち出し、自分はスウェーデン的な国家は好きになれないと言っていた。もうずいぶん昔の話で当時の私には、休んだ生徒の机の上に人形を置く?という事の意味がよく解らなかった。ただいまにして思おうと上記のような理由なのではないかと考える。あくまで推測の域を出ないが・・・
 欧州的個人主義のいきつく結果がこれなのだろうか?他人に対する興味が少なく自己と他者の線引きがきっちりとしている。これは果たしてよいことなのだろうか?
 ひるがえって我々日本人に限らず多くの国の大衆は噂話が大好きだ。英国にしろ日本にしろ王室や芸能人のゴシップやその一挙手一投足をメディアが取り上げ、それに一般大衆は一喜一憂する。私自身はこの種の人々とは距離を置きたいと思ってきた。今までの人生の経験上、何かしら趣味なり、目標をもって人生を送っている人たちは他人の噂話や陰口なんかに花を咲かせている暇はない。もっと能動的に主体的に生きている。私自身もそうありたいと思う。だから心の中で他人の噂話やゴシップ、陰口ばかりを言っている人たちやそれを助長するメディアを馬鹿にしてきた。もっと言ってしまうと教育の水準を上げて、民度・公共心(リテラシー)を向上させるべきだと思ってきた。ただその結果として同級生が休んだことに無関心でその席に人形を置いてどうしたのだろね?と意識させるような状況が生まれてしまうなら、それはそれで問題なのでは?とも思う。基本的に自分自身に興味関心を抱き趣味なり目標なりをもって主体的に生きるというのには賛成だが、他人に対する興味関心をほとんど持たない共同体というのもそれはそれで問題だなと・・・。
 もう一歩誤解を恐れずに言ってしまうなら、この傾向は男性より圧倒的に女性に強い(日本では)噂やゴシップ、陰口というのは主に女性が好むものだ。決して女性蔑視や偏見ではなくごく一般論として。でもそれは言い換えれば、人間に対して興味関心を持っているという点で男性よりも優れているという事だ。それも当然と言えば当然で赤ちゃんを産んで育てる以上、人間に対する興味関心がなくては始まらないのだろう。これからはその役割を男性も担うべきだが・・・
 
 さていろいろ述べてきたが結論はというと、私は他人の噂話やゴシップ、陰口ばかり言っている輩が嫌いだ。その反面そういった人達を全否定するわけにもいかない。上記のような理由から。あとできれば北欧の高福祉・高教育を掲げる国家に行ってみたい。できれば一年くらい滞在してみたい。無論そんなお金があるはずもなく願望の域を出ない。そういったモデルや長期的ビジョンを政治家と言われる人たちこそが持つべきなのではないだろうかと思う。そういった目的のために使われるのなら税金の使い道としてまっとうだと思うのだ。かつて山田洋二監督がおっしゃっていた。「日本は優しい国を目指すべきではないか」と。細かい実務的なことも大事だが、こういう大きなビジョンを持てる方がご健在であることは非常に有難いことだと思う。
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