第347話 本気

文字数 1,634文字

 その昔、私が女子高教師を務めていた頃の話。授業のほうは自分で言うのもなんだがうまくいっていた。手ごたえを感じていたし、やりがいもあった。それに対して、手を焼いたのが部活指導だった。と言うのも、私が受け持ったのは陸上部で、私自身陸上競技の経験なんて皆無だったし、こう言っては何だが陸上競技よりもサッカーやバスケなどの球技のほうが私は好きだった。と言うか持って生まれた身体能力ですべてが決まってしいがちな陸上競技というものに、ある種のやりづらさを感じていたというのが正直なところだった。

 思っていることは態度に出てしまうもので、「あ~どうせなら球技の顧問になりたかったな。」と感じている私を生徒のほうでも敏感に感じ取っていたのだろう。部員との仲はお世辞にもいいとは言えなかった。何とか部員との溝を埋めようと私なりに努力はした。陸上の強い他校の先生の所に話を聞きに行ったり、本を読んだりして自分なりに研究した。ところが「本にこう書いてあったからこの練習をやってごらん。」と言っても部員たちは聞く耳を持たない。自分たちのほうが陸上を長いことやっている。そういう自負が彼女たちにもあった。

 そうこうしているうちに、私はある大会のエントリーを陸上委員会に提出するのを失念してしまった。顧問と部員とがちぐはぐで部活動としての体をなしていなかった陸上部ではそのころ、ほとんどの部員が練習を休みがちだった。そんな状況下で起きた事件だった。私は土下座して謝ったが、生徒のほうは聞く耳を持たなかった。ここにいたって私たちの決裂は決定的となってしまった。

 そんな陸上部だったが、ある行事を機に部活動としてのまとまりが徐々に生まれるに至る。体育祭だ。体育祭の最後には部活動対抗リレーが毎年行われる。そこには教員チームも参加する。この教員チームで新人の私も当然走ることになった。体育祭に備え本を読んで瞬発系の筋力トレーニングを続けていた私は自分で言うのもなんだが随分と速かったらしい。「らしい」というのは他の先生方が「長谷川センセイ速いね~。」というのを何度も聞かされたからだ。私自身、陸上部の顧問としてここで目にもの見せてやる。と意気込んで臨んだリレーだった。その時の集中力は自分でも驚くほどだった。足が速いなんて言われたのはそれが初めてだったので自分でも印象に残っている。

 結果、陸上部はぽつりぽつりと人が戻ってきた。部員もこちらの言う事を聞くようになっていったし、その後部活はだんだんに活気づいて行った。1つ分かったのは、彼女たちは私の本気を見たかったのだろうなという事。たとえ足が遅くとも死に物狂いで走るその姿を見たかったのだ。その時「あ~理性と言葉だけでは伝わらないことが確かにあるのだな。」と悟った。

 さて、時は流れて、現在私は学童支援員をしている。女子高に勤めていた時と同じで理性と言葉だけでは伝わらない事がここでも確かにある。最近「この子たちは私を怒らせたくて仕方ないのだな。」と感じることがよくある。そんなに悪意は感じられないのだが、わざとこちらを怒らせようと仕向けているのが感じとれるのだ。「あ~この子たちは本気を見たいのだな。」と思う。本気ってのはリミッターを外さなければ出ないものだから疲れるんだけどなあ。と思う。同時にそれは私という存在に近づいてみたい。あわよくば触れてみたい。という衝動なので「無下にしちゃあいけないよなぁ。」とも思う。「そうか、俺の本気に肉迫したいんだなぁ。困ったなぁ。」と思いつつ「いい加減にしないと怒るよ。」とどすを効かせる。この辺のさじ加減というのが本当に難しい。相手は人間だ。機械やコンピューターとはわけが違う。でもまあ、それがこの仕事の醍醐味と言えなくもない。

 とまあそんなこんなで学童での日々は続いていく。出来る事なら心穏やかに過ごしたいのになぁ。と思うのは虫が良いというものだろうか?タバコの本数が増えるのが目下の悩みではある(笑)。
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