第131話 成長

文字数 1,360文字

 毎年この時期になると新入社員の挨拶で「早く成長したい。」という台詞が耳に入ってくる。私も教員時代に新人教師の「皆さんとともに成長してゆきたい。」というあいさつ文を読んで「成長って何なのだろう?俺って成長しているのだろうか?」と思った事がある。いまだによく解らない。一般的には「社会人として一人前になる」というのがその定義なのだろうが、「じゃあ一人前って何だ?」という事になる。解りやすいのが社会人としてのスキルに長けているとか、仕事ができるといった意味なのだろうが、仕事のできるといわれる人に限って意外と精神的に幼かったり、人間として深みにかけたりするなあという印象を持つのは良くある話だ。では成長とは何か?ある辞書によれば成長とは「生物や物事が発達し大きくなることをいう。」との事。また、私の友人に言わせると「読書と旅が人を成長させる」との事。さて成長の定義はいまだわからない。ただ、トートロジー的ではあるが一つの答えとしては「人の成長を促せるようになって初めてその人は成長した」と言えるのではないだろうか?そう考えると成長も相対的なものではある。その1例としてイチローさんの父上が挙げられる。イチローさんの父上は子供時代のイチローさんと将棋を指すと3回に1回は意図的に負けてやったとの事。そうしてイチローさんを成長させたとの事。よく解る話だ。私も学童で子供たちと将棋を指す機会があるが、上手に負けてやることがなかなかできない。手を抜いて指すのは相手に対して失礼だし、飛車、角落ちというのは子供の方が嫌がる。三回もやって全て勝つと子供はやる気を無くしてしまう。嘘をつくのは相手に対して失礼だというのは結局、自分の理想に対して忠実なだけであって相手を思いやっての行為ではないのだ。その意味で私はまだまだ未熟だ。相手に上手に嘘をつける優しさ、上手に負けてやれる優しさが必要なのだろう。そんな事を考えていたら、レイモンド・チャンドラーの小説に出てくる格言を思い出した。
 「強くなければ生きては行けない、優しくなければ生きる資格はない」
 すごく本質をついていると思う。いわゆる新社会人の挨拶によく出てくる成長とはこの格言の「強さ」にばかりフォーカスしていて「優しさ」の方をおろそかしているのではないだろうか?強さと優しさの両面がバランスよく育って初めて成長と言えるのではないだろうか?私の職場でも孫のいる年代の先生方を拝見すると「強さ」と「優しさ」の両面がバランスよく備わっている。其処にユーモアまで加わって、とても素敵なお年の召され方をしていると感嘆してしまう。うちの母などに言わせると「それは年の功」との事なのだが・・・。私自身の話をすれば、もし仮に私が強いとしたらそれは相手を思いやって「ここは強くあらねば」ではなく、自分の理想に反することはしたくないから強いのであって、もし仮に優しいとしたら相手を思いやっての事ではなく、やはり自分の理想に忠実でありたいから優しいのである。自分自身の事で精いっぱいで相手が欠けている。その意味で、先にも述べたが私はまだまだ未熟だ。早いとこ「成長」?せねばとも思うし、いや俺は俺でいいんじゃないか?とも思う。皆さんはどう思われますか?「成長」って何なのでしょう?「成長」していますか?
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