第37話 自分本位

文字数 1,467文字

 私の友人は絵が上手い。その友人と知り合ったのは中学の頃で、ちょっと中学生離れした絵を描いていたのを鮮明に覚えている。私たちが地元にいた期間、つまり18までは知り合い程度の中だった。その後、友人は東京の大学に、私は仙台の大学にそれぞれ進学した。  
それが、かれこれ10年ほど前に再会してから今に至るまで懇意にしてもらっている。私の数少ない友人の一人だ。

 東京で彼はどういう経緯か、美術から音楽に転向し、大学卒業後もしばらくはバンド?音楽?活動をしていたらしい。その頃彼がやっていた音楽?というのを聴かせてもらったことがあるが・・・。非常に前衛的で素人の私にはまるで理解できなかった。とにかくサブカル的な要素をふんだんに散りばめた?曲想?だった。
 
 その彼が今度はnoteで文章の執筆を始めたので驚いた。2~3読んでみたが正直言って彼に文才は無い。いや、私がそう感じているだけで、もしかしたらすごい才能が眠っているのかもしれない。というのはほめ過ぎでやっぱり公平な目で見て彼に文才は無い。
 
 何で友人とは言え、他人様の趣味について私がああだ、こうだと書くのか?もったいないと感じているのだ。彼の絵の才能が。中学の頃はじめて彼の絵を見た時の衝撃がいまだに忘れられない。私の中で鮮烈に残っている。何でまあ、絵をやめて、あのわけのわからない前衛音楽に走ったのかと、そして今度は今流行りのnoteなのかと・・・。失礼を承知で言わせてもらうなら
「貴方は要するに流行りに乗っかっただけじゃないか。」と。
「それダサいよ。」と。
「順序が逆だよ。流行りに乗っかるんじゃなくて、お前が流行りを創り出すんだよ。」と。
「お前ならそれが出来たのに。」と。
 
 東京で何があったかは知らない。 東京には彼ですら舌を巻くような才能が集まっていたのかもしれない。彼なりの挫折があったのかもしれない。でも絵を描くことが好きだったんじゃないのか?それは貴方にとって替えの効かないものなんじゃなかったのか?だとしたら他と比較する必要なんてナンセンスな話だ。好きなものをとことん突き詰めればいいのに。今からでも遅くはない。

 そう伝えると彼は
「お前には責任があるが、俺には生活がある。」と(『お坊ちゃまくん』小林よしのり著)の一コマをラインで送って来た。なんだか解かるような、解らないような話だ。
 今読んでいるマンガ(『ブルーピリオド』 1~10 山口つばさ著)にこんなセリフがある。
「好きなものを好きっていうのって怖いんだな。」

 私は文章を綴るのが好きでこうしてブログを書いている。文才があるかないかは他人の評価する事だ。知った事ではないしそれでいいと思っている。それとも私は傲慢なのだろうか?もしそうなのだとしたら、我々はどこまで遠慮して生きなければならないのだろう?好きなものを好きといえない社会って息苦しくはないか?

 もしかすると友人にもそういう類の葛藤があったのかもしれない。その葛藤にどう向き合うか?それを含めて彼の個性・才能だと言ってしまえばそれまでだが・・・。

 ただ、やっぱりそういう形で多くの才能がつぶされていくかと思うと・・。やるせない気分ではある。

 それが他人の目にどう映ろうが「自分はこれが好きなんだ!」そう言える世の中であって欲しいし、その意味で我々はもっと“いい意味で自分本位”になってもいいのではないだろうか?

 さて、この文章をお読みの皆さんはどう思われるだろうか?
“いい意味で自分本位”な人、嫌いだろうか?
私は好きだ。そういう人って輝いているから!
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