第201話 論理を超えた笑い

文字数 1,356文字

「あれ?S一郎がまだだよ。S一郎どこ行った?おーい!S一郎」
「あっ、俺か(笑)」
学生時代の一コマ。サークルの集合場所にて。何が面白いかと言うとS一郎君を探しているのが当のS一郎君本人だったという点。
当時、仙台で一人暮らしを初めて間もなかった私は、「東北の人(S一郎君は仙台人)はシュールなボケかますな」と感心したのを覚えている。自分で考えたのかな?だとしたら大したセンスだなと思っていたところ、このボケの元ネタは古典落語にあった模様。落語に詳しい方はピンとくると思われるが、「粗忽長屋」(そこつながや)がまさにこのボケの元ネタかと。ある長屋にAとBの二人の粗忽もの(そそっかしくて、おっちょこちょいな人)が住んでいた。ある朝Aが散歩に出ると人だかりができている。行ってみると、なんとそこにはBが死んでいるではないか!さっきまで一緒にいたBが死んでいる!驚いたAは自分の目を確かめに長屋に戻る。するとそこにはいつもと変わらぬBがいる。「あれお前、さっき死んでたぞ!」AはBを連れて先の人だかりに確かめに行く。人だかりについてみるとやっぱりそこにはBの死体がある。あわてて自分の死体を抱えるB。
A「ほら見ろ!お前死んでるじゃねーか!」
B「確かに俺が死んでいる。するってーと死んでる俺を抱えているこの俺はいったい誰なんだ?」
という落ち。これと似た話が小学生の頃に聞いたカセット文庫にもあった。出典をググってみたがもう古いもので不明。内容は以下の通り。あるところにとんだ粗忽ものがいた。そそっかしいものだから朝起きてから失敗ばかりしている。一日かけていろいろな失敗を繰り返すのだが、極めつけはその日の終わりに。寝ようとしてロウソクの明かりを吹き消そうとしたところ、間違って自分自身を吹き消してしまったという落ち。給食中にこの話を聞いていた我々は半ば恐ろしいような半ば面白おかしいような気持ちでキャッキャと騒いだのを覚えている。
これらの話の共通点はどれも論理的にはありえないという点。ロジックで頭をがんじがらめにしてしまうと笑うに笑えないという点だ。以前「笑いの方程式」で「文脈」をずらすことで笑いが生まれると書いたが、この場合「文脈」そのものにゆさぶりをかけることで笑いが生まれるといった感じ。普段できるだけ論理的に物事を考えようとか、論理的に文章を書こうと考えているが、いわゆる論理を超えた笑い(驚き)というものが存在するのだと実感する。ヒット商品とか流行語大賞とかが単なるロジックだけでは説明がつかないのとこれは同じだろう。PPAPがなぜあんなに受けたのかロジカルに説明できる人はいない。まさにDon’t think!feel.なのだ。
話は戻るが、これとよく似たテーマを扱った話がやはり中国にもある。それも2000年以上昔に。荘子の胡蝶の夢がそれだ。ある男が夢の中で蝶になってひらひらと飛んでいた。大変気持ちよかった。しかし目が覚めてみるとやはり自分は人間で蝶ではなかった。しかしここで男は思う。俺が夢の中で蝶になったのか?それとも蝶が夢の中で俺になっているのか?はてさてわからなくなったぞ。・・・

いろいろ述べてきたが結論はと言うと、ロジックは万能ではないという事。そして兎に角、落ち着いて何事も慎重にという事(笑)

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