第192話 アプローチ

文字数 1,844文字

 先日、録画しておいたNHKの特番「安室奈美恵『告白』」(2017年11月23日放送)を観た。この番組によると、なんでも安室奈美恵さんは23歳の時、それまでの小室哲哉さんによるプロデュースが終了し、それからは自分自身をプロデュースしなければならなかったとの事。その後「歌手の安室奈美恵が解らなくなった時期があった。」のだそう。誰に聞くことも、相談することもできなくて、いわゆるスランプに陥ったとの事。いろいろと試行錯誤し、もがき続ける中で、最終的に行き着いた答えは一旦「安室奈美恵」という名前を置いておいて「SUITE CHIC」という名前でAIさんやVERBALさんZEEBRAさんなどのアーティストとコラボして「歌って、踊る」という自分自身の一番好きなことに立ち返ることだった。「自分が好きなことは好きだ 胸張って楽しまないとそりゃいいものは 作れない(安室奈美恵さん)」それ以来、彼女は再び輝きを取り戻していく。その後、安室さんはTVへの出演を控え、自分の好きなコンサートへと活動の場を移す。その理由としては「テレビでは何か面白いこと言わなくてはいけないんじゃないか」というプレッシャーが苦手だったそうだ。コンサートへと活動を完全に移したのちにも「MC抜きのコンサートつくらせてください。」とお願いする形で、歌い続けの2時間コンサートを行う。これが見事にはまる。MCを断った理由は「大阪に言ったら大阪は大阪で何か大阪の事を話さなきゃとか、そうすると全国の都市の数だけネタ考えなきゃとか」そういうのが不得手だったとの事。とてもよく解る話だ。ファンは安室さんが何か苦手そうにしている姿を見に来ているのではない。溌溂とした活き活きとした彼女を観たくてコンサートに来るのだ。そのようにして彼女の存在感はいっそう増していった。
 ファンなら誰でも彼女の輝いている姿を観たい。輝くとはどういうことか?不得手なこと苦手なことを、いやいやながらすることか?そうではない。自分の好きなことをやる。逆に言えば嫌いなことをそぎ落としていく。それが彼女が輝きを取り戻した理由なのではないだろうか。ここまで読んできて何かに気づかないでしょうか?そう、どこぞの誰かの言っている事とそっくり同じことを、結果的に彼女は行っているのです。勘の良い方はお気づきかと思いますが、そうですホリエモンこと堀江貴文さんです。
 『好きな事だけやりなさい』等々彼は声高に述べます。一方の安室奈美恵さんは、もがき続けた結果、自分の好きなことに立ち返った。苦手なことは「申し訳ないけれどやめさせてください。」とお願いした。とおっしゃっています。安室奈美恵さんと堀江貴文さんの言っていることはほぼ同じです。ただ決定的に違うのはそのアプローチの仕方です。一方がラディカルに声高に述べるのに対し、一方はもがいた末に(ファンの皆様に)お願いする形で、謝る形でその思いを伝えています。当然、我々一般人が受ける印象は異なります。いわゆる好感度がまるきり違うのです。安室奈美恵さんのそうした挫折や苦悩が彼女のアーティストとしての深みや存在感、ひいては好感度につながっているのだ、とおっしゃる方もいるでしょう。でも、それは堀江貴文さんにも言える事だと私は考えます。彼にだって挫折や苦悩があったはずです。そのことは著書を読めば解ります。それにお勤めも果たしているわけですし。ただ彼はそれを表に出すことはない。あくまで著書の中でさらりと触れるだけです。
 私は安室さんと堀江さんのどちらのアプローチが道義的にbetterだとか、そういう事を論じるつもりはありません。お二人ともそれぞれに経てきた過去があって今日に至っているのだとお察しします。ただ、敢えて、敢えてどちらのアプローチが「かっこいい」かと言ったら、それはやはり後者です。そうなのです今は亡き高倉健さんだって矢吹丈だって多くは語りませんでした。美意識ってそういうものだと思うのです。男は涙を見せてはいけないのです。理性でもって涙腺を締めねばならないのです。それが男のロゴス(論理)なのです。そしてこんな時私は思うのです。女性やLGBTの方々には本当に本当に本当に申し訳ないが自分が男で良かったと。(安室さんをはじめ、女性の皆さん、ごめんなさい。TVの中の安室奈美恵さんの涙は本当に綺麗でした。一方で堀江貴文さんの涙はそんなに見たくないな~と思うのも事実です。)

今日もくすぶり続ける中年男性より(笑)
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