第35話 死に様は生き様だ

文字数 1,651文字

 先日、中田敦彦さんのyou tube大学の『文豪の死に様編』を見た。
樋口一葉、森鴎外、有島武郎、芥川竜之介、小林多喜二、そして永井荷風。文豪と呼ばれる人たちだけあって、その多くは疫病、心中、自殺、拷問死と苦悩と苦痛に満ちた死に様だった。しかしただ一人異彩を放っていた?のが最後にあげた永井荷風だ。

 永井荷風は第2次大戦後まで存命で、79歳で大往生を遂げた。何でも最後の晩餐は≪かつ丼≫だったそうな。彼は生家が金持ちで頭もよく、20代はアメリカ・フランスへと留学し、そこでの経験を書き溜めたのが『あめりか物語』『ふらんす物語』だった。30代で父の言いつけに従い、森鴎外の推薦で大学教授となり、結婚もする。順風満帆の人生だった。

 だが、父親の死をきっかけにタガが外れる。(江戸時代から残る家父長制の影響下、当時、親父の存在は大きかった)永井は大学教授の職を辞し、離婚もする。そしてなんと40代から【隠居】を宣言。今で言うところのfireだ。「あとは好きにやらせてもらうぜ!」。という事だったのだろう。

 その後、日記のような文章を書くことをライフワークとしていた荷風は「もう死ぬまで書きたい事しか書かない!」と悠々自適の生活を送る。貯金もある上にケチだったとされる荷風は経済的にも時間的にも、そして精神的にも≪自由≫を手に入れたのだ。

 そこからの荷風は≪変人≫と言われながらも好きな事を書いて生きてゆく。娼婦との恋、それも発禁になるような激しい恋を書いたり、映画を見て過ごしたりとまさに勝手気ままだ。

 ところがそんな荷風にも想定外の出来事が起きる。第2次世界大戦だ。東京大空襲で家と膨大な蔵書が焼失し、その上戦後のハイパーインフレにより貯金は紙くず同然になってしまった。

 仕方なく千葉の親族のもとに身を寄せた荷風だったが、その頃には長きにわたる独り暮らしが板についており、立派な変人が1人出来上がっていた。

 知人・親族の家の、あろうことか畳の上で七輪で魚をあぶりだしたり、2階の窓から立小便をしたりと好き放題やらかした挙句、追い出されてしまう。その後はぼろぼろの家で、元愛人と元ファンに世話を見てもらいながら、映画を見たり、かつ丼を食ったりしながら最終的には孤独死する。

 孤独死と言うと何だか切ないが、結構幸せな人生だったのではないかと著者は締めくくっている。何故ならこの時代に≪自分で自分の生き方を決めた数少ない人≫だったからだ。自己決定権と言う概念すらない時代に、ここまで生きたいように生きた文豪は他にいない。

 中田さんの解説を聞きながら私は「永井荷風、素晴らしいな」と驚嘆してしまった。恥ずかしながら永井荷風の作品は1つも読んだ事が無かった。是非今度読んでみよう。

 先に述べた通り荷風は日記のような文章を書くことをライフワークとしていた。「あっ俺みたい!」と思わず親近感を覚えたのも事実だ。私の綴る文章もエッセイと名うってはいたが、いわゆる名の知れたエッセイ作品を読んでみると、どうもそれらとは毛色が違う。今後どうしようかなと思っていたところだった。でも、荷風の在り様を見て思った。

 カテゴライズなどどうでもよい、日記みたいな文章いいじゃないか!書きたいことを書けばよいのだ。

 よし決めた!荷風のような人生を送ろう!問題は貯金が若干足りない点だ。まあ私は贅沢の似合わないたちだし、もう10年も働けば何とかなるのではないか?あとはこの国が戦争なんぞに巻き込まれないことを祈るだけだ!

 ある書籍によれば、人は大きく2つのタイプに分けられるそうな。
人生を【悲劇】ととらえる人と
人生を【喜劇】ととらえる人だ。
 私が思うにきっと荷風は後者だったのではないか?
彼の愉快な生き方がそれを証明しているような気がする。
やっぱり愉快に生きてなんぼだろ!

 さて、問題は最後の晩餐を何にするかだ?
間違ってもフランス料理などいけない!
やっぱ、ラーメンか?
どこのにするか?
袋だったらサッポロ一番塩味かなぁ?
と悩みは尽きない(笑)
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