第144話 性善説と性悪説

文字数 1,114文字

 人に対するに(特に初対面では)性善説をとるか性悪説をとるかは難しい。殊に教育の場面においてのそれは私にとって永遠のテーマだ。バイトも含めると塾講師、高校教師、現在の学童保育と教育に携わる3種類の仕事をしてきた。性善説をとって失敗したことも、逆に反動で性悪説をとって失敗したこともある。今、簡単に失敗と述べたが、何をもって成功、何をもって失敗とするかは判断に悩むところだ。クラス全体の運営にとってプラスになれば成功、マイナスであれば失敗というのであれば、それはともすれば全体の為には少数の犠牲はやむを得ないという発想につながり、中世の魔女狩りと変わるところがなくなってしまう。ただし、児童相談所の臨床心理士や相談員ならともかく、教師や学童支援員はクラス全体の安全で円滑な運営が最重要任務である。一人一人を救う事が叶わないのも、いたし方ない事実だ。教育者たるもの性善説でもって子供に対し、裏切られるのが当たり前、騙されて裏切られてなんぼだという昭和的発想のもとに日々の業務にあたっていたのでは、とてもではないが支障をきたす。他の児童・保護者に迷惑が掛かってしまう。と、頭ではわかっていてもなかなか実行に移せないのが私の悪いところだ。1つには私自身に以下のような経験がある。幼稚園の時にトイレに並んでいて1つ年少の園児が「早くしろよ」と言ったのに対し「勝手なこと言うな、仕方ないだろ!」と私が答えたのがきっかけで喧嘩になった。結果私が鼻血を出す始末になったのだが、その際、中年の女性教諭はろくに事情を確かめもせずに皆の前で私を非難した。「今日は年長なのに喧嘩した漣君が悪かったね。」と。関係あるのかないのかわからないが、相手の園児は県会議員の息子だった。もっともその子とは小学生に上がって一緒のサッカークラブに入るとすぐに仲良くなったのだが・・・。とにかく少数者・弱者の権利擁護という立場に私は立ちがちだ。よく言えば弱いものの味方だし、悪くいえば全体を円滑に運営しようとする力、つまり権力にたてつきがちだ。悪い癖だと思う。悪い癖と、これまた頭ではわかっていてもなかなか変えられない。これが私自身の性か・・・。話を戻すと、どうも私は昭和的発想などと口では馬鹿にしながらも、性善説に偏り気味だという事。そのことを頭の片隅において日々の業務に臨みたい。また、性善説に偏り気味な私を現在の同僚は必要とあらば、中庸に引き戻してくれる。手前勝手ではあるがチームの強さってそういうものだと思う。有難い。逆に誰かが反対の方向に偏りがちであるならば私がこちら側に引っ張ってやれれば・・・と思うのは少なくとも今のところ、おこがましい限りである。・・・。
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