第12話 渾沌

文字数 1,125文字

 他者と自分を比べずに生きられたら、ありのままの自分を肯定できたら、私もそんな風に感じていた時期がありました。今だってそうかもしれません。その頃の自分を振りかえって書いた文章です。読んでください。

二千年以上昔の中国に次のような話がある。「昔『渾沌』という目も耳も鼻も口もない化け物がいた。この『渾沌』、ある時人助けをした御礼に目と耳と鼻と口を作ってもらった。ところがそのとたんに死んでしまった。」初めて読んだ当時高校生だった私は衝撃を受けた。なぜ『渾沌』は死んでしまったのか? 目、耳、鼻、口、これらはすべて感覚器官である。視覚、聴覚、嗅覚、味覚、それぞれが我々に多様な《情報》を伝えてくれる。ではそもそも《情報》とは何か?背が高い人がいる。我々は何をもとに「背が高い」という《情報》を得ているのだろう。仮に世界中の人がみな同じ身長だったとする。その際「背が高い」という《情報》は成り立つだろうか?否、みな同じ身長では高いも低いもない。その人より背が低い人が全体の過半数以上いて初めて「背が高い」と判断しうる。つまりそこに比べるべき対象があって初めて情報は《情報》たり得る。この考えを突き詰めれば《情報》とはすなわち「比較」であり「差」であるといえる。時としてそこには痛みが伴う。「比較」とは優劣を明らかにすることでもあるからだ。『渾沌』が死んでしまったのはきっと《この痛み》に耐え切れなかったためだろう。私はそんな風に理解した。同時に《この痛み》から逃れるすべはないものか?そんな疑問を持った。大学に入り寺の息子とつるむようになった。一度、彼の実家で、住職の親父さんと三人で飲んだことがある。親父さんにこの話をしてみた。「比較という考え方からは逃れられないのですか?」「答えになっているかわからんが、お釈迦さま知っているか?自分の妻子ほったらかしにして修行に出た困った人なんだけどさ。この人はどういうこと言ったかというと、とにかく欲から逃れたいって言ったんだ。あらゆる欲からさ。でも考えたら贅沢な話だろ。すべての欲から逃れたいなんてさ。それ自体が一番の欲だっての。」 目から鱗だった。お坊さんとは偉いなあと感服した。このとき壁を超えたような気がした。その壁は人生の要所、要所で現れる、そういうたぐいの壁だ。苦も無くそれを乗り越える人もいれば、私のように時間のかかる者もいる。だが、いずれは自力で乗り越えねばならない。でないと『渾沌』のような結末になってしまうからだ。上手に乗り越えられない人は、この文章をテコにしてほしい。役に立てれば幸いだ。後に友人から聞いたのだが、ありがたい言葉をくださった親父さん、財テクに余念がないそうだ。これだから面白い。
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