第79話 お笑いの政(まつりごと)化に思う

文字数 1,050文字

 地上波のお笑い番組を見なくなって久しい。
 何故かというと(芸人の皆さんには失礼極まりないが)つまらないからである。
 何故つまらないかというと、お笑いが予定調和化されているからである。
 何故予定調和化されているかというと、お笑いが政(まつりごと)化されているからである。
 芸人の定義が何であるかは私には解らない。でもシェイクスピア作品にみられるような、中世の王侯貴族に召し抱えられた“道化師”を例に考えるならば、本来お笑いとは権力者を小馬鹿にしたり、世間を風刺したり、相手に驚きと知的刺激を与えるものであるはずだ。それがこの国のいわゆるTV芸人達は芸人同士で村社会つまり“芸人村”を形成してしまっている。そしてそこには“笑い”という限られたパイを配分する「政(まつりごと)化された笑い」が出来上がっているのだ。
政(まつりごと)化された笑いとは、芸人同士の上下関係、友人関係、そして空気を読む力がすべてであり、それは予定調和に他ならない。
「予定調和的笑い」のすべてが悪いとは思わない。芸人の皆さんにだってご家族がおありだろうし、お子様が大きくなればお金だってかかる。お笑いという自由業で生きていくには、先輩芸人、後輩芸人と仲良くやっていくこと、お笑い芸人同士の助け合いも必要になってくるだろう。でも、でもそれで笑いの本質を見誤ってはいけない。
先にも述べたように笑いの本質とは(私が考える笑いの本質とは、だが)政治や権力を庶民の視点から面白おかしく風刺したり、批評したりする事にあるのではないだろうか?芸人同士が“芸人村”の政治を取り仕切ったり、芸人自身が権威化したりしていたんじゃ、それこそ本末転倒も甚だしいのである。
 その意味で脳科学者茂木健一郎氏の「TV芸人たちはオワコンだ(オワコンとは終わったコンテンツの略)」という発言はもろ手を挙げて賛成とは言えないまでも、やはり間違ってはいないと思うし、それに対する松本人志氏の「あの人は、そもそもお笑いのセンスが全くないから刺さらない」という発言はそれこそ、そもそもお笑いのセンスって何?と思わざるを得ないのである。そこでYouTube界に飛び出し、活き活きとしている中田敦彦さんの在り様などは、「いいなぁ」と思ってしまう。
 さて最後に、まがいなりにも表現者として(決して芸人ではないが)私も一つジョークでも言っておこうと思う。以前にも用いたジョークなのだが・・・。
「♪ホーニョ、ホニョ、ホニョ、崖の上で放尿~!♪」
(宮崎駿さんごめんなさいm(__)m)
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