第236話 夢を通じて

文字数 1,490文字

 夢を見ていた。夢の中で私は中学生で、ゲームの時間をめぐって母と口論していた。どう言うわけか、そこに中学時代のいじめっ子のBが現れた。Bが言う事には「いいじゃない。ゲームくらい。そんな事より、他人からの支持や好意を粗末にしちゃ勿体ないでしょ!」私はハッとして「ありがとうBちゃん。」と言うとBは少し照れ臭そうに「も一度言って。」とせがんだ。私はもう一度「ありがとうB君!」と今度は改まって礼を述べた。次の瞬間目が覚めた。そんなわけで、今ここに文章として綴っている。確かに私には、他人からの好意、特に異性からの好意を、それが私にとって価値あるものであればあるほど、わざと粗略に扱ってしまう傾向がある。後になって自分でも「なぜあんなにそっけない態度をとってしまったんだろう。」と反省するのだが一向に直らない。中学時代Bと知り合った頃にも同じようなことがあった。自分にとって大切な誰かから好意を抱いてもらえる事ってとてもとても貴重なことなのに、それをないがしろにする私をBは内心苦々しく思っていたのかもしれない。やっとBが私をターゲットにした理由がわかった気がした。
 それにしても、夢って不思議だ。喉元まで出かかっているものの、自分ではいまだ気づかない言葉やイメージをクリアーに伝えてくれる。ただ疑問なのは今回なぜ母とBと言う人物が夢に出てきたのかだ。母はともかく、Bとはもう20年以上会っていない。私にとってもう過去の人だ。それとも人と人が夢の中で交流できるというのは本当の事なのだろうか?もしかするとBは今でも私のことを何らかの理由で意識していたのだろうか?それで夢に出てきたのだろうか?だとしたらBの想いは確かに私に届いたと思う。「人の好意を粗末に扱ってはいけない。」それがBの私に対する率直な思いだったのだろう。それは痛いほどに伝わった。
何にせよ、このように夢を通じて我々はイメージを共有する。夢を通じて我々は時間と空間を飛び越えてシンクロする。夢を見る事は人間が「言語」を獲得する以前、まだ「群れ」だったころに備わったコミュニケーション手段の1つなのかもしれない。

 さてここで話はだいぶ飛躍する。今頃、ロシアのプーチン大統領はどんな夢を見ているのだろう?さぞ、穏やかな夢を見ているに違いない。小鳥のさえずりでも聞こえているのだろうか?と言うのは無論皮肉で、正直、夜も眠れぬ日々が続いているのではないだろうか?
現実ではプーチンが怖くて側近は誰も正直な事が言えないのかもしれない。でも夢の中ならば・・・。私がB君からのメッセージで自己を改めたように、夢を通じて彼が自己を改める事が出来たらよい。そして彼にそのイメージを送れるのは、それはやはり、彼に近しい人たちなのだ。それとも部外者?であるこの私でもプーチン氏と夢でイメージを共有する事が出来るのだろうか?多分難しい・・・。その為にはプーチン氏の事を深く知らなければ・・・。やはり彼と何かを共有できるのは彼に近しい人たちなのだ。その為にも、と言うわけではないが、我々は近しい人を大切にしなければ・・・。

 今回「夢」について考えてみた。従来「夢」を個別にとらえて研究の題材とした例は多々ある。しかし複数の人の「夢」を「イメージの共有」と言う視点でもって研究の題材とした例はまれなのではないだろうか?どうもその辺りに「脳」のコミュニケーションを司る機関・部位としての一面が見えてくるのではないかと思っている。「夢」「脳」「シンクロ」「共鳴」「イメージの共有」このあたりの事を研究している論文等、ご存知の方は紹介してください。ではまた!

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