第232話  本物のプライド

文字数 1,553文字

 今も昔もそうだが、「先生」などと呼ばれていると、いつの間にか居丈高になってしまう。でもそれは職務上致し方ないと言うか、その方が都合がいいと言うか、そうでなくては業務上差し支えると言うか、そう言うものである。何故なら、子供たちを上からしかりつけなければならない場面が往々にして我々の職場にはあるからだ。子供達は千差万別だ。優しくて従順な子もいれば、ひどくわがままで、こう言っては何だが傲慢な子もいる。それらを十羽一絡げにまとめていくためには、こちらが相手以上に傲慢で居丈高にならなければならない。だから、「先生」と呼ばれる人たちが一般の方々から見て傲慢に映るのは致し方ない事なのかもしれない。ただその居丈高になっている先生方にも弱点はある。それは自分以上の「先生」が現れた時だ。居丈高でプライドが高くて当然。と言うよりプライドを高く保たねば立ち行かない職種である「先生」。その先生が自分より年下でしかも自分以上の「学歴」や「キャリア」を持った「先生」に出会う時、しかもその「先生」が後から入って来た時など、前からいた「先生」はとてもやりづらい。「先生」特に学校や教育機関に勤める「先生」の悲しい所は、己が職業上いやでも「学歴」から自由になれない点だ。すなわち、自分以上の「学歴」の新人が入ってきた時、それはとりもなおさずアイデンティティーの危機なのだ。そこでどう我が身を処せるか?これは傍からすればその「先生」の人物・器を知るうえで絶好のチャンスでもある。

 私事で恐縮だが私も女子高時代自分より若くてやたらと運動神経の良い若い教師が赴任してきたとき、やっぱり動揺した。アイデンティティーの危機?だったのかもしれないでもまあ、しばらくすると「仕方ないな。俺は俺だし、まあこんなもんだろ。」と割り切った。その辺が私の覇気のない所なのか、それとも器のでかい所なのか自分では解らない。でもまあそんなもんだった。その後の展開は知る人ぞ知るところである。
ただ、これって難しい人には難しい事なんだろうとは思う。自己のアイデンティティーを揺るがすような相手が現れた時、どう振舞うか?それって「先生」にとっての永遠の課題なのかもしれない。
 私などが思うのは「結局、自分との勝負なんだよな。」と言う事だ。「先生」にはそれまで築き上げてきた実績・地位・プライドがある。それらを手放す事が出来るか?そこが勝負だと思う。実績とか地位とかプライドとか、そう言ったものに縛られて手放す事が出来ずにいると、どうしても新しい「先生」と自身を比べてしまう。比べるからには上に立たねばならない。そうでなくてはプライドが保てないからだ。下手なプライドなんか手放して身軽になっちまえよ!そうすれば・・・。と思うのだが、それが出来ない人もたくさんいる。それはそうだ。先に述べたようにプライドがこの職業を支えている一面が確かにあるからだ。そしてそういう下手なプライドに縛られた人が集まるとどうするか?新人イビリである。自分以上の学歴・キャリアを持つ先生を「排除」にかかるのだ。情けない話ではある。でも「先生」と呼ばれる世界では往々にしてある話だから怖い。クワバラクワバラ(笑)。
 
 「下手なプライド」ほど無駄なものは無いと思う。一方で学校や教育機関に携わる「先生」にとっては「プライド」は職務上必要不可欠なものであるのも確かだ。この二律背反な命題をどう整合させるか?非常に興味深いテーマではある。それとも「下手」でない「上手なプライド」もしくは「本物のプライド」なるものがどこかに存在するのだろうか?いやきっとある。そんな気がする。

 さて、私はと言えば、自分で言うのもなんだがこの職業を続けるからには「本物のプライド」を手に入れたい。そう切に願うのだ。

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