第101話 託す

文字数 1,625文字

 「一度贅沢を覚えると元に戻れない。」と言うのがうちの母のモットーで、このモットーにそって私たち兄弟は物質的には極々質素に育てられた。「物質的には」と断ったのは精神的にはそうでもなかったと思う節があるからだ。幼い頃はよく絵本の読み聞かせをしてもらったし、小学生のころ習っていたサッカーでは、毎週日曜の朝には父が早起きして練習に連れてってくれた。基本的にいつも家には母がいて寂しい思いをする事もなかった。物質的には乏しくとも精神的には贅沢させてもらったという思いが強い。
 長じて本やマンガを読み漁るようになった私は、物質的にはユニクロの服で満足している。ただ精神的にはそれなりに贅沢な、つまり文化的に洗練された(ナイフとフォークの使い方とは違った意味で洗練された)人間になったのではないかと自負している。
 もっとも上には上がいる。文学部のしかも哲学科にいった私の友人などは、その最たる例だ。言葉に対して私よりはるかにシャープなセンスを持つこの友人は、我々北関東の人間を一言で切り捨てる。曰く「ダサい」と。例えば車社会に生きる我々北関東の人間はガソリンの価格に一喜一憂する。「どこそこのスタンドはここより10円安いよ」という会話が日常生活に溶け込んでいる。それをこの友人は「ダサい」の一言で片づける。対して彼の話題は高尚だ。ショッピングモールの喫茶店で人の生き死にについて、神について、愛について、宗教について、幸福について、コーヒー一杯で語り合ったのを思い出す。哲学科出身だけあって彼の興味関心は確かに高尚だ。我々のそれとは一線を画している。ただ1北関東人として私にも言いたいことがある。「でもさっ、(ここで「さっ」と言ってしまうあたりが北関東人)誰もがあなたのように東京の山の手で大学生活を送れるわけではないんだよ。北関東から出たくても出られなかった人もいるわけでさ。そういう事を抜きに語るわけにはいかないんじゃない?」
「うん・・・そうだね。」
彼は素直に認めた。その素直さが私には眩しい。ふと、先日登った山の事を思い出した。山は高く登れば上るほど遠くまで見渡せる。いい景色を見られる。多分この友人は私より高いところまで登って、私より遠くまで見渡して、私の見たことのない景色を見たのだろう。羨ましかった。ただ同時にこうも思った。確かに先日登った山ではすごくいい景色を見る事が出来た。でも実際には2000mまで車で連れて行ってもらった。自分の足で登ったのはせいぜい300~400mだ。自分の力じゃない。俺はスタート地点が2000mからだったけど、標高0mから自力で登る人もいる。それこそマイナスからのスタートの人だっている。無論その友人にはその友人なりの苦労や苦悩があって今日に至っているわけで、そこまでは私には解らない。ただ我々は恵まれているかもしれない。そういう視点は忘れない方がいい。そう伝えると友人は
「うん。でも、やっぱり子供たちは東京に行かせてやりたい。自分が見たのかそれ以上のものを見せてやりたいもの。」
と言って缶コーヒーを飲んだ。その時、「託す」と言う言葉の意味が解った気がした。
「なるほど。託すってこういう事かもね。自分には見られなかった景色を自分の子供なり、教え子なりには見せてやりたい。そういう想いの事を託すっていうのかも。」そう思うとふと父の事が頭に浮かんだ。父は北関東から出たことのない人間で、だからと言ってさほど北関東を愛しているわけでもないのだが・・・。その父は私が大学に余計に2年間通っていたことに対して嫌味一つ言わなかった。この人はこの人なりに想いを託していたのかもしれない。そう思うと頭が下がった。今度いい酒でも買ってやろう。
 さて、私には子供がいない。思いを託すとすれば甥っ子や姪っ子、それと・・・勤務先の学童の子供たちがいる。今度は何を読んでやろう。そう思うと、休日に図書館の絵本コーナーに行くのが楽しみなのである。
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