第108話 ヒマ

文字数 1,221文字

「ハセッチ、ひま~。」
いつもの学童での一風景。
「ゲームとか本とか飽きちゃったの?」
「うん」
「じゃあ、Fさんに面白いこと教えてやろう。地球上にはいろんな生き物がいるけど、ヒマを持て余しているのは人間だけなんだって!すごくない?どう為になった?」
「別に~。ヒマだっていうのはね、人生終わってるってことだよ。」
「オイオイ、ちょっと待ってくれよ。ハセッチなんか年中ヒマだよ!ハセッチの人生を終わらせないでくれよ。(笑)」
私がヒマと聞いて私がまず思い出したのがマンガ『寄生獣』(岩明均 講談社)のラストシーン。
「そりゃ人間がそれだけヒマな動物だからさ だがな、それこそが人間の最大の取り柄なんだ 心にヒマ(余裕)がある生物、なんと素晴らしい。」
と言うセリフ。どうやらその児童には響かなかったらしいが、結構大事なことを言っている。何かと忙しい現代社会に生きる我々は「ヒマ」と言うと否定的にとらえがちだ。「リア充」と言う言葉がそれを如実に表している。でも、本当にそうか?そんなにヒマって悪い事なのか?私は結構ヒマが好きだ。ヒマな休日は図書館、ツタヤ、ブックオフと言うのが定番になっているし、最近は中田敦彦さんのyou tube大学もよく見る。ボケっと一人で物思いにふけったりもするし、それを今みたいに書き留めたりもする。また、好きな音楽を聴きながら車を走らせることもあるし、今は遠く離れた古い友人を想ったりもする。無論、ごろ寝するのだって良い。ヒマで問題なのは人恋しくなる時だ。人は人である以上、誰かとコミュニケイトせずにはいられない。コミュニケイトする相手がいないのは確かに寂しいものだ。逆に、いつもいわゆる「リア充」で誰かしらと一緒ならば一人の時間が欲しくなる。この二つのバランスがとれた状態が望ましいのだろうが、私としては少し寂しいくらいが丁度よいのではないかと思う。人のありがたみが解るからだ。何事もそうだが少し空腹なくらいの方がよいのだ。
 先にあげた児童が単にヒマだったのか、それともいい話し相手が先に帰宅してしまい、寂しかったのか。そこまでは解らなかったが、ヒマならばヒマについて考えるのも一興だと思って『寄生獣』のセリフを聞かせてみた。もし可能な事なら『寄生獣』を読んでみるのもよい。『鬼滅の刃』が十分にわかるくらいだから『寄生獣』だって解るのでは?と思ったが、さすがにそれは学童の範囲を超えているので私にはどうしようもない。ただ、スポンジが水を吸い取るように様々な事をどんどん吸収できる年頃なのだ。「ヒマだ~。」なんて言っている時ではないのでは?とも思うのだが・・・。自分が読んで感動した本やマンガを是非この子たちにも読ませてやりたい。それは子供たちと接していて常日頃思う事だ。マンガや本がどれほど私の人生を豊かにしてくれたことか。世界には面白いもの、素敵なものが溢れている。是非、彼らが「ヒマだ~。」なんて言う事のないようにしてやりたい。
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