第32話 美しい感情

文字数 1,349文字

 大学の頃、私と同じ文学部にすごく綺麗で洗練された女の子がいた。地味な国公立大学のキャンパスで彼女のまわりだけは空気に華があった。その子は地元仙台の出身で、大学1年生らしい自然な、それでいて品のいい身なりをしていて、北関東の山間の町から出てきた私にとってはちょっとしたカルチャーショック?だった。可愛い子がいるものだなあ、と遠くから見ているだけで、結局4年間で1度たりともしゃべる機会は無かった。

 今になってみればそれでよかったと思う。あの頃の未熟な私では(今でも未熟なのかもしれないが)何をしゃべって良いか解らなかったし、「好きです」などと告白でもしようものなら振られるどころか相手にさえされなかったに違いない。もっとも「好き」とは違ったと思う。一言も言葉を交わした事のない相手を好きになるというのは私にはよく解らない。都会的で洗練された異性への憧れだったのかもしれない。 

 まあ、何にせよ、一言もしゃべる機会のなかったのは結果的に良かった。一方的な好意をぶつけても相手にされないのは当然だし、そうなった場合、未熟な私はこれまた一方的に彼女を逆恨みしていたに違いないからだ。当時から、学内で目立つ存在だった彼女にはその手の逆恨みが絶えなかった。
「学校は社交場じゃねーよ!」
とか
「何気取ってんだよ。」
とか、そのほとんどは男子学生によるものだ。自分たちの手の届かない存在に対するそれは嫉妬と羨望の入り混じった複雑な感情だった。もし間違って彼女に告白でもしようものなら(確実に振られていただろうが)彼らと一緒になって彼女の陰口をたたく側になっていたに違いない。そうならなくて本当に良かった。

 話は少しずれるが出会い系サイトがもてはやされるのはよく解る。恋愛につきもののその手の面倒を避ける事が出来るからだ。振った、振られたの気まずさもない。ローリスクなのだ。だからと言って私は出会い系を肯定するわけでも否定するわけでもない。興味のある人は自己責任の下、好きなように活用したらいい。
 私が言いたいのは以下の事だ。
 
 今は懐かし、昭和・平成の教育ドラマ『3年B組金八先生』にこんなエピソードがある。ある寺の跡取り息子が同じクラスのマドンナに恋をしてその想いを伝える。結果は見事に振られてしまう。でも、その寺の跡取り息子は決して彼女を逆恨みなどしない。彼は最後に担任である金八にこう宣言する。
「自分は絶対に彼女より長生きする。そして彼女の葬式のお経は必ず自分が挙げる。」
このドラマをリアルタイムで見た当時、確か中学位だったと思うが、彼の気持ちがよく解らなかった。でも今なら解る。何と、何と美しい感情ではありませんか?一歩間違うと現代ではストーカー呼ばわりされてしまうかもしれない。だけど、それでも、この感情の純度は間違いないのです。

 私が今後、年甲斐もなく恋愛をするようなことがもし在るならば、この少年のような「美しい感情」を忘れたくないものです。・・・・いや、ちょっと待てよ。それではまるで私が振られることが前提みたいじゃないか?冗談じゃない!負け戦は一度きりでたくさんだ。トホホ(笑)
さて、この文章をお読みの皆さんは「美しい感情」持っていますか?忘れたく、無くしたくないものですね、この「美しい感情」を!
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