第93話 シール

文字数 1,175文字

 今、手元に「メンテナンス会員様 大商談フェア」とシール貼りされた一通のはがきがある。何のことはない。私が車を購入した某自動車会社の、とある販売店からの定期的な車のメンテナンスのお知らせのはがきだ。長谷川 漣様と書かれたシールが貼ってある。そのシールが若干、本当に若干だが右肩下がりになっている。その下にはこれまたシールで大商談フェアとあり、下にその販売店の住所と営業時間が印刷されている。こっちは水平に貼ってある。だから何だというのではないのだが、予備校でスタッフを務めていた時代、よくこういうはがきをつくった。その際シールをそれぞれのはがきに貼ってっていくのだが、「あっ今度のは右肩上がりになったな。ほんのちょっとだけど、でも右肩下がりになるよりはいいや。」とかいちいち、そんなことを思いながら住所の印刷されたシールを貼っていった。「あっ今度のは水平に貼れた。」とかほんとにどうでもいいような、それでいてどうでもよくない事を気にしながらそのシールを貼っていった。このはがきを見た方がシールが若干、右肩上がりになっていようが、右肩下がりになっていようが、おそらく大した影響はない。大した影響はないんだけれども、それでも何となく「右肩下がりは良くないよな。」とかそんなことを想いながら、丁寧に、丁寧にシールを張った。1つ1つ出来るだけ水平になるように張っていった。多分、多分だが働くってそういう事の繰り返しなんだと思う。ほんっと、どうでもいいことかもしれないが・・・。でも、でももし教員をずっと務めていたらこういう事は解らなかったと思う。そう思いながら販売店さんからのはがきをもう一度見た。このはがきを担当した方はどんな思いでこのシールを貼ってくれたのだろう?私は障害を発症したことに伴い職を転々としてきた。その過程で色々な仕事を受け持った。顧客の住所のシールを張るという仕事ももちろんあった。教師として授業を教えていたのでは解らない事も結構あった。その一つ一つが今の自分になっているのだと思う。スガシカオさんの代表曲「プログレス」の歌詞で「ずっと探してた理想の自分て、もうちょっとカッコよかったけれど、僕が歩いてきた日々と道のりをホントは自分て言うらしい」とある。なんか、いかにもな曲だなと思ってあまり好きではなかったが、でも、今なら彼がこの曲で伝えたかった事がわかる気がする。多分、多分だけれど、そのシールがほんのちょっと右肩上がりになるかならないか、そういうところに働くって事の本質はあるのだ。だから何だってことないんだけれど。でも世の中で働いている数知れない人たちのために想う。それが仕事なんだと、今度は水平に貼ろう。もしくはほんのちょっと右肩上がりになるように貼ろう。くどい様だが、だから何だってことはない。でも、でも多分そういう事なのだ。
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