第234話 のっぺらぼうの

文字数 1,110文字

 先日、学童の勤務中、学習の時間に児童たちが学校で配られた自分の似顔絵シートに思い思いの自分を描いていた。皆、何かしら自分の特徴を自分なりに描いている。それぞれ自分の好きな恰好の服を着て、いつもつけているお気に入りのマスクをつけていたり、マンガチックだったりと様々だ。だが、ある児童(6年生)だけは自分の似顔絵を描けずにいた。のっぺらぼうだ。「どうしたの?」と聞いてみると「わかんない。」との事。実は前からその児童の事が気にかかっていた。気のいい児童ではあるのだけれど、いわゆるこわい先生の前ではおとなしく何でも言う事を聞くのに、私の前では小馬鹿にしたような態度をとる。単に私が舐められているわけだが、そう単純な問題でもない。
「強いものには巻かれて、弱いものには小馬鹿にしたような態度をとるのはカッコ悪いよ。」と諭すと、いたいところを突かれたという表情をしていた。その子が自分の似顔絵を描けずにいる。
「ああ、そうか。この子はまだ自分が見つからないんだな。」
とその瞬間感じた。同時に自分にもこんな時期があったな。そう思うと何だか目頭が熱くなった。それを悟られないようにするのに必死だった。

 自分を見つける(アイデンティティーを確立する)と言うのは簡単なようで難しい事だ。当然それが出来なくてもがく児童もいる。私なども自分を見つけるのに時間がかかった方だ。
 
 私には1つ違いの兄がいて、この兄が運動も勉強もよくできた。頭の回転が速くいわゆる優等生だった。頼りになる兄だったが、反面、私からすれば威張りん坊の兄でもあった。一度テレビで歌番組を観ていて、ある楽曲が流れると私が「この曲スキー場で流れていたね。」と言うと兄は「そんなはずがない、この曲は今日発売したばかりだ。」と言う。「そんなはずない。確かに流れていた。」と私は思ったのだが、頭の回転が速くて口が達者な兄にそれ以上反論するのは気が引けた。今にして思えば、発売前に宣伝として楽曲を流すのはごく当たり前の事それだ。でもそれを当時は説明できなかった。ただ、その時悟ったのは「兄にとっては真実を確かめることよりも、目の前の俺を言い負かすことの方が大切なのだ」という事だった。そんな風に思うようになってから私は徐々に自分を確立していった。
 
人が自己を確立するのはいろいろな環境や関係に作用される。一筋縄にはいかない事もある。でも日々の生活の中で、児童が自分を見つける手助け(支援)が出来るなら、それは学校の先生や塾の先生とはまた違った意味で尊い仕事だと思った。
 
今はのっぺらぼうでもいい。いつか自分にしか描けない自分がきっと見つかる。その手伝いが出来ればいい。がんばれK君!
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