第174話 ツボ

文字数 978文字

「笑いのツボが違う」という表現がある。要するに笑うべきポイントが違うという事なのだが、どういうことかよく解ったので以下に記したい。
私と親父では笑いのツボが全く違う。その親父と夕食時にサッカーのプリンスリーグについて話をした。プリンスリーグとは日本の高校生(ユース)年代のサッカー大会の一つであり、高円宮杯 JFA U-18サッカーリーグにおけるプレミアリーグに次ぐ2部のリーグである。高校サッカーの強豪校である前橋育英には、関東近辺からクラブチームのユースに昇格できなかった中学生が入学してくる。そして前橋育英の選手としてプリンスリーグで元は自分が所属していたクラブチームのユースと対戦して勝ったり負けたりしている。私は「これは面白い」と思った。自分が昇格できなかったクラブチームと、悪くいえば自分をけったクラブチームと「高校サッカー」という別のカテゴリに所属しながら同一のリーグで勝負をするのだ。ユースからプロへ、また、高校サッカーからプロへと昇格する際にセレクションがあり、また、プロの中で切磋琢磨し日本代表に昇り詰める選手がいる。まさに捨てる神あれば拾う神ありで、真剣勝負(自由競争)の中では一般社会に比べ、仕組みそのものが成熟していると感嘆したのだ。そこが私には面白かった点である。それに対し親父は前橋育英のどの選手はどこのクラブチーム出身でどういう特性があるだとか、どの選手は地元の出身でどういうつてで前橋育英に来たかとか、そういういわば個別論に興味をもって面白がっている。「そうか俺が各論を「抽象化」して一般論に面白さを見出しているのに対し、彼(親父)は各論をより一層「具体化」して個別論を語ることに面白さを見出しているのだ。」その時、親父の事が少しだけ解った気がした。「抽象化」と「具体化」はベクトルで言えば真逆の行為である。ここではどちらが良いとか悪いとか、どちらがより上位にまたは下位に属するとか、そういう事を言っているのではない。ただ親父と私の指向する方向性は真逆で、それが私と親父の笑いのツボの違いにもつながっているのではないかと思った所存だ。この抽象化もしくは具体化の程度の近しい人とは笑いのツボが合うのではないか?そして笑いのツボが近い人といられるのは幸せなことだと思う。あなたのそばにいる人とあなたの笑いのツボは合っていますか?

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