第311話 「理」と「情」と「大人」とそして「涙」と

文字数 1,312文字

 以前、職場の学童の研修で「あなたはどんな支援員になりたいか?」と言う趣旨のアンケートがあった。私は
「威もて上より圧するのではなく、理もて正面より正すのでもなく、情もて、側面から絆す。(ほだす)そんな支援員に私はなりたい。」
と答えた。
 
 我ながら何とも生意気な事を言うとは思ったが、面白い解答ではあるのでそのままにしておいた。ただ、今にして思うと、これは私が本質的に「理の人」であるからこその解答なのだ。もし私が本質的に「情の人」であったならば「情もて側面から絆す(ほだす)のでもなく、理も手正面から正すような支援員になりたい。」と締めくくっていた事だろう。

 そうなのだ。一連の私の文章をお読み頂いた方ならば、ご承知のはずと思うが、私はどう見たって本質的に「理の人」なのだ。そして私はその事実に少なからぬ自負を抱いている。何故なら「情」よりも「理」の方が社会生活を送るうえではるかに有益だからだ。

 そりゃ誰だって、感情の欲するままに笑って泣いて喜べたら幸いだ。でもそれは子供や言い方は悪いが気違いの特権だ。(私も?)いい大人にそれが許されるのはプライベートな場合だけだ。公私の別をわきまえた上で、よんどころない場合以外は、私情よりも公的使命を優先する。それが大人ってもんだろう!そういう思いが私にはある。言い換えれば大人として社会生活を送るというのは結構寂しいものなのだ。だからこそ、私的な時間と空間を共有し、ありのままの自分をさらけ出せる“家族”もしくは友人が必要なのだ。

 さて、つらつらと述べてきたが、何が言いたいかと言うと皆さんに問いたいわけだ。貴方はいい大人ですか?と。自分は、いい年して、いい大人だと、もし仮にのたまうのならば、理性の衣を身にまといなさいよと。先程述べたことと矛盾する様だが、本質的に「理の人」なんていないのだ。私だって「感情の人」だ。ただ、そこにはいくつかの種類がある。

①自分の感情に都合のいいように上っ面だけの理性でカモフラージュする奴と、
②それこそ感情むき出しの奴と、
③もしくは、むき出さざるを得ない状況にある者と、
④そして、自分の感情を押し殺してまで理性を優先させる人と。

 貴方はどれに当てはまるだろうか?私?私のことは後回しでいい。大事なのはあなた自身がどうあるかだ。

 話しは若干移る。先日アニメ映画を立て続けに2本見た。「S」と「B」だ。どちらも原作は大好きだったが。映画はくっきりと評価が分かれた。「S」を見た時は何度涙をこらえたか解らないが、「B」を見た時は正直興覚めだった。理由は明白で「S」は作中に「涙」はほとんど出て来ない。対して「B」は「涙」を大量消費し過ぎなのだ。あまりにも安っぽい。原作の良さが台無しだ。(お涙頂戴には正直がっかり)

 私は感情を押し殺した「S」の登場人物たちに共感したのであって、「涙の大量消費」の「B」には「安っぽさ」しか感じなかった。一緒に見た方もそれは同じだったようで、正直映画代もったいなかった。それこそ(涙)だ!

 とまあ、私はこんな人間だ。
「理」と「情」と「大人」とそして「涙」と皆さんはいかがお考えだろうか?
と言うか少しは考えよう!
ではまた。
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