第335話 夜明け前

文字数 1,370文字

 YouTube Musicをランダム再生で聞いていたらスガシカオさんの『夜明け前』がかかった。それ以来何度も聞いている。「闇が深いのも、夜明けが近ければこそ」という、もとは英語のことわざをモチーフとしたこの曲を、私は結構気に入っている。

The darkest hour is just before the dawn.
「闇が深いのも、夜明けが近ければこそ」

 そんな一時期が私にも確かにあった。

 20代の終わりに私は発狂(発狂なんて言葉使いたくないが他に適当な表現が思い浮かばない)し、精神病院に入院した。その後のリハビリを経て、気が付いてみると私には両親とリハビリ先の施設の人たち以外“人づて”が無くなっていた。今ほどSNSが流行っていたわけでもない。友人たちとは2年近く連絡を取り合っていなかった。入院期間中手放していた携帯に残っていた連絡先。それだけが私を現実社会につなぎとめる唯一の糸だった。

 社会という荒波に顔だけ浮かび上がった私は、それでも再び教職に就こうと試みて、反対する両親を尻目に、それまでに持っていた中学社会・高校地歴の免許に加え高校の政経・倫理の免許を取るための勉強と手続きを始めた。確かその関係で大学のある仙台に行く必要があったのだと思う。私はなけなしの勇気を奮って当時東北で、やはり高校教員をしていた友人にメールをしてみた。「今度仙台に行くのだけれど、もし時間が合えば会えないだろうか?」友人は快く応じてくれた。近々、院生時代に世話になった教授の退官記念で集まるからその翌日仙台駅で会おうという事になった。

 久しぶりに会った友人は「よお、長谷川久しぶり。」と学生時代と変わらぬ調子で挨拶をくれた。その後、我々は仙台駅の中の食堂で一緒に飯を食ったのだが、何を食ったのか、何を話したのかよく覚えていない。ただ、ビールを飲んだのを覚えている。

「オレ前の職場でちょっといろいろあってさ、統合失調症になっちまってさ。」
「うん、なんか聞いたよ。大変だったみたいだな。」

 多分そんなことを話したのだろうけどよく覚えていない。別れ際に

「俺、連絡先変わってないからいつでも電話でもメールでもくれ。」

と言って友人は私とは別方向に歩いて行った。 

 「多分色々聞いていたんだろう。2年近く連絡なかったんだから知らないはずもない。でも知ってて知らないような、どうでもいいような雰囲気にしてくれたんだ。」

そう思うと涙がこぼれそうになった。

「今日食った飯の味は忘れらんねえな。」

 実際には何を食ったすら忘れてしまった。でも、たぶん忘れられないのは飯の味ではなく、人生の味なんだ。それがわかる年に私もなった。

 それ以来、大晦日の夜は実家が関東にあるその友人と飲むようなった。あって何を話すでもない。でもそれは少なくとも私にとっては大切な時間だった。

 ところが3~4年前に些細なことからこの友人と喧嘩してしまった。原因はまあ私のほうにあるといえば私のほうにある。

 悪かったOよ。俺が悪かった。でもな、お前のほうにも問題あるといえばある。俺の才能に嫉妬するのは何もお前に限ったことじゃないぜ!だからな、また来てくれよ!この北関東にさ!俺がそっちに行ったっていい。久しぶりに飲もうじゃないか!

 スガシカオさんの『夜明け前』を聞きながら古い友人を想った。
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