第210話 人は人の為に

文字数 1,483文字

 人が頑張る理由について考えてみた。
①面白いから
 これは頑張る理由として不適当と思われる。面白いことをやるのは頑張るとは言わない。このブログにしても書くこと自体が面白いのであって頑張って書いているわけではない。
②報酬(お金の為)
 これも私にとっては幸いというべきか不適当である。恵まれたことに、(両親や環境のおかげ)今までお金のために頑張ったという記憶はあまりない。お金をたくさんもらえるに越したことはないが、生来贅沢が似合わない性分なのでそれほどお金で困ったことはない。夏は500円で買ったTシャツを着ていれば十分だ。趣味さえよければ。
③相手ありき。
 これが私にとって頑張る理由として最も適当かと思われる。「今日あの方から温かい言葉をかけてもらった。あの方の恩に報いねば」とか「あの人はいつも私を公平に扱ってくれる。あの人のために頑張らねば」とか「世話になった人たちに恩を返さねば」とか・・・「あの子たちのために良い仕事をせねば」というのが頑張る原動力になっていた気がする。

 つまり人は(少なくとも私は)人と人との関係において頑張れるのだと思う。

 以前、次のような話を聞いたことがある。
人を動かすに3法あり。
① 正面の理
② 背面の恐怖
③ 側面の情

①は理詰めで人に訴えかける方法
②は要するに脅しである
③は人の情感に訴えかける方法。

 どうやら私はどんな正論よりも、どんな脅しよりも、相手のパーソナリティーやユーモアに心を動かされてきたような気がする。義理も含めて。その意味で私も感情の生き物なのだなと思った。どんなに理性の鎧で固めても隙間から感情が零れ落ちる、それが人というものだ。

 話は移るが、高校時代にA君という私より出席番号が一つ若い同級生がいた。
A君が教室の窓際の列の先頭で私が2番目という位置関係にあった。ある定期考査の際、教師が配るテストの枚数が明らかにA君と私の列で足りないという事があった。するとA君は自分の分は取らずに全部後ろの私に回してくれた。田舎とはいえ一応進学校であった私の高校では少しでも早くテスト問題を手元に置きたいという心理が働く。そんな中A君は悠然と自分の分は余りが来るからと全部の問題用紙を後ろに預けてくれたのだ。中学高校を通じてそのような対応をしたのはA君が初めてだった。非常に驚いた。また、中学時代サッカーの県選抜だったA君は体育の授業などでサッカーが行われるときはいつもふざけていて本気を出さなかった。だが時として曲芸のようなプレイをして皆を驚かせた。そしてとにかくA君は心の広い人だった。誰かがへまをしても決して責めたりなじったりしなかった。ある日の授業中に彼が漫画を読んでいたのがばれた際「今、授業止めちゃうと皆に迷惑が掛かるので、あとで職員室に行きます。」と教師に答えたのはさすがだと思った。そんなA君の周りには自然と人が集まった。文化祭の出し物などを決める際も、彼が一声「じゃあ、やろうぜ」というと皆自然と体が動いた。とにかく器のでかい人だった。同年代であれほど器のでかい人物に出会ったのは後にも先にも彼だけである。そしてつまるところ人は人のために頑張るのだなとその時思った。皆、A君が好きだったのだ。その後風の噂に聞いたのだがA君は救急救命士になったとの事。A君らしい仕事に就いたと思う。

 どこかの国のトップにもA君の半分もの度量があれば、ミサイルなんて発射しないと思うのだが・・・一方のA君はと言えばそんなことお構いなしに休日は好きな釣りでもしているのだろう。世の中って案外そういう風にできているのかもしれない・・・
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