第249話 外を知り・・・

文字数 1,574文字

「あの信長ですら朝廷の権威を利用した。」

 先日、父と日本史の話をしていた。日本の様に王族が当初から現在まで続いている例は世界的にもまれだという。中国史などを見ると「もし生まれ変わるとしても絶対に王族になど生まれたくない。」と言って殺されていった王族もいれば、次の実力者によって1貴族としてその血筋を守られた王族もいる。王朝を根絶やしにせず、幕府という形で共存、もしくはその権威を利用した日本のような例は確かにまれなのだ。その文脈から「あの信長ですら朝廷の権威を利用した。(天皇を殺さなかった。)」が出てくる。
「そう考えると、やっぱり日本人って保守的なんだろうな・・・。」
と私は思った。そしてそれはやはり地政学的な理由、つまりは島国である事と密接にかかわってくるのだろう。そう考えると
「やはり大陸に渡ってみたいな。」
などと身の程知らずの私としては考えてしまう。大陸で、大きなところで自分がどこまでできるのか試したいのだ。出る杭打たずにいられない風潮、無駄な嫉妬、醜い足の引っ張り合いはもうたくさんだ。


 話は変わるが、中田敦彦さんのYouTube大学で、政治家の河野太郎編が面白かった。河野さんは中学時代にアメリカの高校に留学したいと父の河野洋平さんに願い出る。しかしけんもほろろに却下される。曰く「大学までは日本でいい。」と。どうしてもという河野さんに父の洋平さんは「だったら、今度外交官のパーティーに連れて行ってやる。そこで英語でみんなに言ってみろ。高校から留学したいと。」そのパーティーで河野さんは英語で思うところを伝えた。するとどの人からも「止めておきなさい。」という返事が返ってきた。帰りの車中でしょんぼりしている河野さんに父の洋平さんは「みんながみんな反対しているからには、きっと何かあるに違いない。」と河野さんにアメリカ行きを許したとの事。アメリカの高校に留学した河野さんはそこで英語で勉強し、アメリカの大学に英語で受験し、入学する。そして今度は資本主義圏だけでなく共産主義圏についても知りたいと、当時共産圏にあったポーランドに留学先から留学する。ポーランドに入国する際、「この国では何をしても自由ですよ。」と言われたらしい。ポーランドに降り立った河野さんは民主化運動の先頭に立つ人物に会いに行く。そこでの光景が驚愕だった。運動家の部屋で河野さんはガイドの学生と運動家がなんと“筆談”している光景を目の当たりにする。河野さん自身との会話とは別に、ガイドで付き添ってきた現地の学生と運動家は次のデモの日程について“筆談”し、読んだそばから暖炉の日でそれを燃やしているのだ。共産主義国はとんでもない!と自らの体験から知った河野さんはアメリカに戻り、その後日本で一般の企業に就職するのだが・・・。

 この動画を見て、「やはり若い頃に海外に行く事は何物にも代えがたい価値がある。」と思った。日本にいると当たり前の事が大陸では当たり前でも何でもないし、向こうで常識の事が日本では非常識だったりする。会社でも学校で役所でも、どんな組織でも一緒だと思うが、一度入ってしまうとそこでの椅子取りゲームが世界のすべてであるかのように錯覚してしまう。そういう人がほとんどだ。(少なくとも私の経験上はそうだった)同様に日本にだけいると日本の事しか見えなくなる。例え断片的に海外のニュースなどが入ってくるにしても。それではいけない。出来るだけ若い頃に海外を知ることは当人のみならず、社会全体にとって有益な事なのだろう。
経済的な事情さえ許せばどんどん海外に出てゆくべきだと思う。特に若い人たちは。45歳のオッサンとしてはそんなことを思った。


 そう言えばこの動画を作成した中田敦彦さん御自身も家族でシンガポールに移住している。私にもそんな事が出来たらなぁと羨ましく思う。
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