第348話 転んでも

文字数 1,301文字

 つい先日、学生時代の友人と久しぶりに会って飲んだ。その友人とつながれて本当に良かったと思う。ほかにも私には20前後の頃に友達になった連中と今でも頻繁に連絡を取ったり、私の文章を読んでもらったりしている。こうして古くからの友人とつながれるのは、ひとえにインターネットとSNSのおかげだ。そしてそれらはどちらもアメリカで生み出されたサービスだ。(インターネットは元々軍事技術の応用だと聞いているが・・・)

 何にしろ、こう言った新しい技術やサービスを生み出すその創造性には舌を巻かざるを得ない。かの国に留学した友人が言っていたが、向こうの学生で自転車の仕組みをフレーム自体から手作りで作り出しているものがいて驚いたとか。こういった原理原則を自ら作り出そうとするバイタリティーには敬意を表さざるを得ない。ひるがえって我が日本が昨今生み出したものと言ってぱっと思い浮かぶのが、あまり品の良い話ではないがシャワー式トイレだ。でもこのシャワー式トイレにしたってその原型の水洗式トイレは他国で生み出されたものだ。日本はそれに改良を加えたに過ぎない。

 新しい何かに挑戦するという行為、次いでそれに伴うリスクをとるという行為、そしてそれに失敗してもやり直しがきく社会的な仕組み、そういった諸々に対して敬意を表する文化がかの国にはあるのだろう。日本も、大企業が挑戦するうえでハードルを低くするために、つまりお金を借り安くするために、この10年来金利を極限にまで低くしてきた。(ゼロ金利政策)だが結果はだれもが知るとおりだ。

 フェイスブックだって、今日では我々の生活の一部になっているAmazonだって、もとはアイディアだけの小さな、小さな企業だった。それが世界を席巻するまでになったのだ。日本もそれに倣って、いわゆるスタートアップ企業をもっと応援しなければならないと、最近になってやっと舵を切ったそうだ。でもまだまだ足りない。と堀江貴文さんが一番新しい著書で述べている。

 アメリカという国のすべてが押しなべて素晴らしいとは到底思えない。格差、それに伴う分断、銃の問題、等々。でもこういったパイオニア精神と合理性にはやっぱり感服してしまうのだ。

 そしてそのアメリカの社会的・文化的中心であるところのニューヨークの、場末のバーで宮本大の挑戦が始まった。(マンガ『ブルージャイアント・エクスプローラー』石塚真一)今週号のビックコミックで宮本大たちのバンドはニューヨークで初めてのギグを行うに至る。未読の方は是非読んでいただきたいのだが、私は読んでいて震えが止まらなかった。このような文化があるのだから日本という国も捨てたものじゃないな!と感じ入ったほどだ。

 さて、少子化高齢化やそれに伴う制度疲労等々、様々な問題が山積のこの国だが、次世代を担う子供たちが生き生きと生活できるような時間と空間を提供するべく私たち学童支援員も頑張らねばと思う。と同時に今の子供たちが大人になるころには、挑戦して、転んでも、再び立ち上がって次の一歩を踏み出せるような社会的枠組み作りを、国としては急いでほしい。なんせ子供たちはよく転ぶのである(笑)。
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