第355話 褒められて・・・

文字数 1,660文字

 だいぶ遅くなりましたが新年あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。

 さて、先ほど堀江貴文さんの動画を見ていてい思うところがあったので感想を述べたい。
今回の番組の議題は教育関係で、堀江さんの意見を要約すると「せっかく東大出て頭いいのだから世間のつくった枠組みの中でまた一番を狙うのではなくて、自分でその枠組みを作り出す側になればよいのに?」という事だった。

 それに対する、共演者で一浪して東大の経済学部に入った女子学生の意見はこうだ。
「だって、ほめられるんですもん。親に!枠組みで一番取ったら。周りにも!」

 これは聞き捨てならないな。と思った次第だ。そりゃ誰だって褒められるのはうれしい。親に褒められるのだって嬉しいだろう。でもそれっていくつまでの話かってことだ。私自身は現在47歳だ。正直もう親に褒められてうれしい年ではない。そりゃそうだ。何故そりゃそうかって、正直、親より私のほうが断然勉強しているからだ。両親は何にも考えずにNHKを朝から垂れ流しているだけだし、そりゃ本は読んでいるようだが、それだって自分の趣味に走ったものや、自分が若いころに買っておいたものを読むくらいだ。時代が昭和で止まっている。学ぼうという姿勢がかけらもない。それでいて私が堀江さんの動画や、中田敦彦さんのYouTube大学や、岡田斗司夫さんの動画を居間で見ようとすると母などはあの人はキンキンした声でうるさいなどと文句を言う。(中田さんごめんなさい)要は自分のわからないもの、ついていけないものに対する嫌悪以上の何物でもない。父のほうはそんなことはないが、それでもインターネットを用いて最新の情報を得ようという努力は感じられない。

 だからと言って両親を責めるわけではもちろんない。70代80代の両親に学べというのも酷な話だ。むしろ私のほうこそ、父と母を褒めるべきなのだ。と思う節がこの頃では多々ある。父はこれと言って才走ったところのない人間だが、私と兄を毎週日曜の早朝スポ少のサッカーに連れて行ってくれた。仕事上の人間関係がもとで円形脱毛症ができた時も家族のために変わらず働き続けた。才能はともかく、この人の責任感は立派だったなと、今にして頭が下がる。母は母で、育児と家事、父の両親の世話と懸命に働いてくれた。私のほうが二人を褒めねば、ねぎらわねばと思うのだ。
 
 そういったこちらの考えや想いを父のほうは理解しているようだ。だが母のほうは・・・。と言うのも父は自分より手足の伸びた息子が自分の理解の範疇を超えるようなことがあっても、それを自分にはもうわからない事があるのだ。というスタンスで受け入れる。それは令和のレジームが昭和のそれとは異なるという事を理性によって悟っているからだ。でも母のほうは・・・。自分の価値観とそぐわないことがあったりすると、そのしわ寄せが、あろうことか晩御飯のおかずに現れる。おいおい勘弁してくれよ。と私は言いたい。彼女は自分と一緒の価値観を息子がいつまでも持っているはずだと勘違いしているのだ。それこそ勘弁してくれよだ。

 何でもかんでもアメリカの例を持ってくるのはどうかと思うが、アメリカでは赤子が嫌々をしたとき両親は喜ぶそうだ。曰く「はじめて自分の意思を示した!」と。母に聞かせてやりたい。でもまあ、女性ってこういうものかなあ、仕方ないのかもな・・・。とも感じる今日この頃でもある。無論、そうでない女性もいらっしゃるのは重々承知なのですが・・・。

 さて、新年早々人口の約半分を敵に回すような結論になってしまいましたが、今回はこの辺で。日本の女性が変わったから、その社会進出が促進されるのか?それとも女性の社会進出が促進されたから日本の女性も変わるのか?卵が先か鶏が先か?という議論になってしまいますが、皆さんはどう思いますか?良くも悪くも根本は変わらない気もするなあ~と言うのが私の私見です。ただし晩御飯のおかずだけは減らさないでください。私が言いたのはただそれだけです(笑)
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