第13話 いくつもの顔をもて

文字数 1,169文字

 私のペンネームの下の名前「漣」は先日亡くなられた大杉 漣さんから頂いた。その役柄の幅広さから300の顔をもつ男と評された 大杉 漣さん。300の顔をもつ男、かっこいい!イカシテル!我々も300とはいかないまでもせめて1ダースくらいは顔をもちたいものだ。そんな思いからこの名前を選んだ。300の顔をもつとはどういうことか?それは300の役割を担う、もしくはかつて担ったという事だ。役割を担うとは言い換えればそれだけ居場所があったという事。難しくいうとそれだけの共同体に属したという事だ。(ここでは共同体の定義について深く論じることは避けます。)
 さて、話は移りますが、皆さんは「ひきこもり」についてどのようにお考えですか?そもそも「ひきこもり」とは何でしょう?どのような状態を指すのでしょうか?『大辞泉』によれば「長期間にわたり自宅や自室にこもり社会的な活動に参加しない状態が続くこと。」だそうです。また、友人によれば「hikikomori」とは西欧にない日本特有の概念だとの事。私自身は「ひきこもり」とは共同体から排除された結果、もしくは排除されることを恐れて身動きが取れなくなってしまった状態を指すものと理解しています。西欧で「ひきこもり」の概念がないのは、共同体の意識が日本に比して希薄だからではないでしょうか?裏を返せば日本人は「共同体あっての自分」という意識が強く、共同体から排除されることを極端に恐れます。では、西欧人の様な個人の確立とまではいかなくても、我々日本人が共同体からフリーになる方法はないのでしょうか?あります。それは一人が複数の共同体に属する事です。やさしくいうと複数の居場所を作る事です。AがだめでもBがある。BがだめでもCがある。Cがだめでも・・・という具合に。学校がだめでもクラブチームがある。フリースクールがある。その意味で部活動の役割は今後地域のクラブチームが担ってゆくべきでしょう。また、学校以外の学びの場(インターネットスクール等々)も増やしていくべきでしょう。複数の共同体に属する、複数の居場所を持つことでいわゆる共同体からフリーになることができ、結果として、ひきこもりになる確率は減少するのではないでしょうか?つまり何が言いたいかというと「いくつもの顔をもて!」という事。その意味で300の顔をもつ男、大杉 漣さんかっこいい!と言うわけです。そんなこんなで下の名前を「漣」にしました。ご理解いただけると幸いです。仕事とは時間は多くとられてもあくまで one of them に過ぎないというのが私の考えです。また、この「共同体フリー」という概念を現代の日本社会に対して提案します。働き方改革と同様に今後の日本社会にとって大切になるものと考えています。さあ、あなたもなりませんか?共同体フリーに!
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