第199話 自嘲癖

文字数 1,164文字

 私には自嘲癖がある。自嘲とは何か?一番わかりやすいのが次の例だ。
戦闘中に恋人を亡くした男が一連の白兵戦のかたがついた後、部下の一人に「あの歌」を歌ってくれと頼む。その部下が「あの歌お嫌いと思っていましたが・・・」と答えると、男は「今でも嫌いだよ」と応ずる。部下は上官の心情の一端を理解してか求めに応じる。「あの歌」とは出征する恋人との別離を嘆いたものだ。歌詞を読むと解るのだが、戦争という社会的なテーマを一男女の別れという個人レベルに埋没させている。お世辞にも高尚な歌とは言えない。ここで男は一人自嘲する「いつ聴いても安っぽい歌だ。でも何故か心に響くものがある・・・それはつまりは俺が安っぽい男だからか。」
 この例からわかるのは、自嘲という行為が自己を突き放して客観視することから生ずるという事。あと若干のナルシシズムと。自己を客観視するのは私の見るところ誰でもできることではない。高次な精神構造から生じる行為だ。と思う。で、自分で言うのもなんだが私はこの自嘲癖がある。それは主に次のような形をとって現れる。「この話、あいつに聞かせたら何と言うだろう。彼は言うに違いない「ハセガワ、おまっホント、冷や冷やさせんなよ。お前ってば、向こう見ずで、不器用で、でも誰よりも一生懸命で・・・まるで昔のオレを見ているようだ(笑)」
 つまり私は自己を突き放して客観視する為に友人という媒体を不可欠としている。無論、深い付き合いの友人を。心の中にもやもやがあると大概、先に述べたように想像する。そうすると自然に顔がほころんでしまうのだ。これが私なりの自嘲だ。周囲の人には気味悪がられるかもしれないが、これはこれで重要な精神の浄化作用なのだ。ここで私が言いたのは次の2点。
 1点目はいかなる時もユーモアを忘れない事。ともに笑う相手がいるに越したことはないが、そうでなければ私のように自嘲すればいい。他人を嘲笑うくらいなら自嘲すべきではないか。「他人を嘲笑っている自分ってしょうもないな(自嘲)」それは私なりのダンディズムでもある。
 2点目は数少なくていいから本当に分かり合える友人を持つこと。そういう友人がいれば大概の事は笑って浄化できる。
 そして結論としては「自嘲せよ!」という事。自分の中のもやもやを他人の陰口や、他人を嘲笑う事で解消するなら、自らを嘲笑することで精神を浄化するのだ。その為にも自己を客観視する癖を身に着けるべきかと思う。つまりは心の中に鏡を持て、と言う事!
 自嘲とは高次のユーモアであり、そこでは常に心の中の鏡とが一対になっている。その鏡の役割を友人が担ってくれるのなら、それは幸せなことだと思う。その意味で私は幸せだ。そんなわけで今回の締めくくりとしては
「こんな文章を書くなんて、なんだか俺も偉くなったものだな(自嘲)」
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