第195話 時代

文字数 1,780文字

 つい数か月前までいつも髪を切ってもらっていた理容師さんが独立してしまった。「お近くなんですか?」「ついてきますよ!」と答えたら、なんとその方の実家のあるN県N市に銀行から資金を借りて作るそうだ。そりゃいくらなんでも無理だ。遠すぎる。まだ20代で、とても腕が良く、必要以上の事はしゃべらない方だったので贔屓にしていたのだが致し方ない。その方は「いや~自分馬鹿なのでリスクは承知で、独身だし、いざとなったら自分のけつは自分で拭けばいいんで。」と口ではおっしゃっていたが、物腰は柔らかくても、相当に志の高い、自分の腕に自信のある方だった。その理容室の本棚に独立して経営していくためのノウハウ本が置かれていて、相当に読み込まれていた。勉強していらっしゃったのだ。休日を使って後輩の指導にも充てていたらしい。その方が自立してしまってからは、正直誰に切ってもらうか迷った。結果、50代半ばくらいの女性に切ってもらう事に落ち着いたのだが・・・。この方には本当に本当にすまないのだが、先の独立した若い男性の方と決定的に違う点があった。迷いながら切っているのだ。こちらの要望は「これまでと同じで」と伝えてあるのだが、はさみを入れるごとに迷いながら進めているのだ。この方とマッサージを入念にしてくれる見習の若者には申し訳なかったが、2・3回切ってもらった時点でお店を変えることを決意した。で、友人から紹介を受けた、自宅から若干、離れたある理・美容室に行ってみた。そこはこじんまりとしたお店で、若い(30代前半くらい)男性が二人で切り盛りしている。とても真面目でそれでいてフランクな方で、話題がお仕事のに及んだ。そこで店を変えた本音を言ってみた。「以前切ってもらってた人が独立してしまって、そのあと50代くらいの女性に切ってもらっていたのですが、この方が迷いながら迷いながらはさみを入れるんですよ。その点Hさんは全くはさみに迷いがないですね。全然違う。」「そうですね、自分はまず最初に頭のカタチと仕上がりをイメージしたら、後はもう迷わず一気に仕上げてしまいますね。」「最初のイメージが大切だと思いますよ。」「そうなんですよね、その女性の方はおそらくご自身が20代30代だった頃に流行っていた髪型と現在はやっている髪型との間のギャップに戸惑っていたのかもしれないと思うんです。それでイメージがはっきりしないまま迷いながらはさみを入れていたのかと・・・」「うーん、それはありますね。10年前と今とではやはり流行りの髪型も若干変わってますし、それに合わせてこちらも勉強していかないと、ダメなんですよね。」「何事もアップデイトが必要という事ですか?」「(笑)まあ確かにそうですね。自分も若い子たちと話すときは常に新しい話題に事欠かないよういろいろアンテナ張ってますもの。」「なるほど。」私は満足してお店を後にした。確かにどんな仕事でも勉強(アップデイト)は欠かせないのだ。少し自宅から遠いが新しいお店が定まったので安心した。と同時に少し不安になった。自分自身は果たしてアップデイトされているだろうかと・・・?私が青春時代?を送ったのは90年代後半から2000年代前半だ。髪型はともかく時代の空気感・カルチャー・PCの普及率といった点でアウト・オブ・デイトになっているのではないだろうか?と思い当たる点が多々ある。確かに最近の音楽とか聴いてもピンとこないものが多い。でも、と思う。果たして今流行っているもののどれだけが10年後・20年後・30年後に残るだろう?「本当にいいもの」を見分ける「目と耳」が必要なんだろうなと思う。(あと「鼻」や「口」も必要なんだろうが、あまりそちらは自信がない。)時の洗練を経てなお色あせない、そんな音楽や文化にこそ学ぶべきものがあるのだろう、と思った。そんなことを考えていたらふと河島英五の「時代遅れ」が頭の中に流れてきた。普通の人はその人の人生を「時代」が駆け抜けていく。でも、一部の人はその人自身が「時代」となって世間を駆け抜けていく。私はと言えば「時代遅れ」でも何でもいいから「時代」を超越した何かに触れられれば、と贅沢にも思う。そしてそれが身近なところで、しかもただで叶えられるのが「図書館」なのだと思う。これからも市民税はきちんと払おうと思った(笑)
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