第19話 理由

文字数 1,179文字

 私が文章を書く理由がわかった。初めは「某芸人超え」などとふざけていたがそんなことはどうでもよい。もし何かの賞でも貰えるものなら、それはそれでうれしいが、別にそこまでして他人に認められたくもない。では金か?確かにお金はたくさんあるに越したことはない。だが、そんな贅沢するわけでもないので、今のままでも十分だ。印税で生活できるというのは確かに魅力的だが・・・。では何のために書くのか?
 以前NHKでナチスのホロコーストについての特番をやっていた。
ナチスがユダヤ人を大量虐殺したのは周知の事実であるが、それ以前に実は国内の障がい者を大量に虐殺していた。いわゆるT4計画である。「社会に必要ない劣勢な遺伝子を排除する」のがその目的だった。無論その事実を当時のドイツ国民も感づいていた。T4計画の存在を知りながら同意(沈黙)していたのである。恐ろしいことだ。ジョージ・オーウェルという作家が言っている。「個人の狂気はまれだが、集団の狂気はままあることだ」と。その実例がこれだ。皆が無言のうちにそれを受けいれてしまう中、ただ一人ある教会の神父は違った。彼は当局からの監視のリスクを承知の上でそれに異を唱えた。ある日の説教で彼は言った。
「考えてもごらんなさい。今行われていること(障がい者への虐殺)を我々が認めるとすれば、我々が年老いて働けなくなったとき、今度は我々が『お荷物として、用済みとして』排除されてしまう。それを認めることになるのですよ。本当にそれが正しいことなのですか?それでいいのですか?」
 彼の言葉には力があった。この説教は人々の心を打った。コピー機もない時代だが、手書きなりガリ版なりで拡散した。この神父の言葉は瞬く間にドイツ国内に広がり、ナチス当局をも動かした。T4計画は中止を余儀なくされ、障がい者への虐殺は完全にではないが終わりを告げた。完全にでないというのはその後も専門の医師によって障がい者の殺戮がすすめられたからである。その当時医師たちにとってそれが国から与えられた任務だった。そうすることが国家に貢献する道だと考えたのだろう。自分の意志を持つということは簡単なようでいて実に難しいことだ。故にこの神父に私は最大限の敬意を払うのだ。
つまり私はこの神父のような文章を書きたい。こういう文章だったら私にも書けると思う。出過ぎた事かもしれないが私が書かずにだれが書くのだという気もする。もう一度念を押しておこうと思う「個人が発狂することはまれである、しかし集団が発狂することはままあることだ。」ナチス然り、戦前の日本然り。その時は私が正気を取り戻してやる。この神父のように。それが私の文章を書く理由だ。今実感した。我ながら大それたことを言っていると思うが、私は本気だ。とにかく、そのような状況にならないことを願って今後も文章を書き続けてゆきたい。
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