第293話 理想の先生

文字数 1,603文字

 「また独りか。」職場の学童での一コマ。学童は基本午後からの勤務。よって研修などは午前に行われる。今日も午前に研修をうけ、その後各自昼食となった。申し合わせてあるのだろう、皆連れ立って車に乗り込む。私一人がポツンと残る。いつもの光景だ。別に一人で飯を食うのが嫌なわけではない。でも、一緒にどうです?くらい声をかけてくれてもいいのに・・・。

 夕方5時半過ぎ、子供の数が少なくなってきたとこで、もう一人の男性の先生が声をかけてきた。何やら、いつも私のことを毛嫌いしている2人の女性の先生の事を話題にしたかったようだ。私はそれに軽く応じつつ、思う。「ああ、やはりこの先生は飯の時、私を独りにしたことを申し訳なく思ってくれているんだ。だからこうしてフォローをしてくれる。フォローしてくれるのは有り難い。でも、向こうにも嫌われないように、こちらからも悪く思われないよう、絶妙の距離感を取っているとも言える。見方によっちゃあ「ずるい男」だよなぁ。もしこの人が「ハセガワ先生も一緒にどうですか?」とか「俺はハセガワ先生と食うんで皆さんはお先にどうぞ!」とか言ってくれたらなぁ。でもまあ、それは期待し過ぎというものか。この人は私が村八分にされている分には優しくしてくれる。でも私が村八分状態からみなと同じになれるように助力してくれることは決してない。それは集団内における私の地位が一つ上がる事を意味する。一方で、彼にとっては私に対する自分の優位性を1つ失う事に他ならない。そしてそれは彼の好まざるところだ。2年も一緒に働いていれば人柄ってもんが見えてくる。それに、この人にはこの人なりの立場があるんだろう。彼を責めるわけにはいかない・・・。私だって同じ穴の狢かも知れないのだから・・・。悲しいかな、社会とはそう言うところだ。」

 今日の研修では冒頭にあなたはどんな支援員(先生)になりたいか?と言う質問がなされた。そりゃ“先生”の定義は人それぞれだ。それぞれに理想とする“先生”像があるのだろう。それは一向にかまわない。でも、教育に携わるものとして、一人ぼっちをつくらないというのは基本中の基本と言うか、それ以前に人としてあったりまえだろう!と言う思いが私にはある。本来いじめや仲間外れを、戒めるべき立場の“先生”が子供から一歩離れた所では、いわゆる村八分を作り出すことを何とも思わない。それで本当に“先生”かよ?村八分にされてうれしい奴などいるわけないよ!これが“先生”のやる事かよ?先にも述べたが、“先生”の定義は人それぞれだ。でも、それ以前の問題として、人としてどうなんだよ?と思ってしまう私は甘いのだろうか?

 独りぼっちになる子ができないよう、少なくとも私はそう思って教員の時も学童支援員としても働いてきたつもりだ。それが私の理想とする“先生”のはじめの一歩だからだ。

 こんなことを書くと風当たりが強くなるだけかもしれない。でも、これで風当たりが強くなるようならその組織はもはや自浄作用を失っていると言うべきだろう。そんな組織は変えなきゃならん。それとも、私の側に独りぼっちにされても仕方ない、然るべき理由があるとでもいうのだろうか? 

 もしこの文章を読んでいる方の中に小学生や中学生がいたらよく聞いて欲しいのだが、いじめや村八分はなにも子供の世界に限った事ではない。大人の世界にもそれは往々にしてある。しかもより陰湿だ。無論そんなところからは逃げていい。でも、負けちゃあだめだ!いじめに負けて自分を価値の無いものと思ったり、自分を傷つけたり、間違っても自殺なんて絶対に絶対にダメだ‼‼‼自分は最高にイカシタ存在だ!そう思っているくらいでちょうどいい!!私はいつもそう思っている(笑)

 さて、話は戻るが、あなたの考える理想の先生ってどんな先生だろう? 私の理想とする先生は・・・少なくとも村八分はしない先生です(笑)
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