第190話 「Mr.マーケット的歴史観」

文字数 2,102文字

 「適正価格」というものがある。
昨日、兄が11歳の甥っ子を連れて遊びに来た。そこで甥っ子にこんな話をした。
私「クラスにちょっと人気のある女の子がいたとする。その子本来の魅力はこんなくらいなんだけど、クラスのみんなが「~ちゃんて可愛いよね」と言ってる。するとその子の人気は急上昇で、その子本来の魅力を飛び越えてしまう。この状態の事をバブルっていうんだけど、まあ今は言葉自体はどうでもいいや。そのうちクラスの誰かが「でも~ちゃんて性格悪いよね。」と言い出す。そうするとそれにつられてクラスのみんなも「そうだよねそんなに可愛くないよね。」と言い出し、その子の人気は急降下。本来の魅力よりずっと下がってしまう。こういう事って理解できるよね?」
甥っ子「うん」
「だからその子が人気のある時には告白してもだめで、人気が下がった時に告白すればOKしてもらえる。タイミングが大切だって話。」と兄が茶々を入れる。
そこで私が「いや、それはそれでいいんだけど、大切なのは「クラスのみんな」に振り回されないで「本来の価値」を見極める目が必要だってこと。「物事の本質」ともいう。その子の魅力がどんなものなのか?自分自身の目と耳と頭で考えなくてはいけない。「クラスのみんな」に振り回されないで自分自身で見極めろという話。それが出来ればそうそうドジは踏まない。わかる?」「うん、解る。」「よし、じゃもう寝よう!」
これは株式から応用した話だ。世界一の投資王ウォーレン・バフェット氏の師であるベン・グレアムは株式市場の事を「躁うつ病を患った気の毒な人物Mr.マーケット」に例えている。もちろんここで言う「クラスのみんな」の事だ。グレアムの主張はこうだ。Mr.マーケットがうつの時に株を買って、躁の時に売れと。先の私の兄の発言と要は同じだ。つまり、「適正価格」を見極めろと!それが出来れば怖くないという話。今、株式の話を、「クラスの可愛い女の子」に応用したが、これは例えば企業の人材活用にも応用できるし、主義や、システムと言った事柄にも応用可能だ。例えば会社にNさんという文章を書かせると非常に面白い人材がいたとする。Nさんのレポートが読まれると彼の人物評はうなぎのぼりだ。「Nは優秀な人材だ!」しかしよくよく見てみると社交性や協調性に欠ける。今度は彼の評価は下がる一方で底割れ状態。「Nは見掛け倒しだった。」でも時間の経過とともに解ってくる。やはりNは物事を深く自分の頭で考えている。ただ社交性や協調性に欠けるのも事実。つまり彼はAという仕事には向いているがBという仕事には向いていない。これが「適正価格」だ。この例からわかるのは「適正価格」が判明するにはある程度の「時間」が必要不可欠だという事。さてここで「時間」という言葉に着目したい。「時間」≒「歴史」としてみる。すると面白いことが解ってくる。つまり「歴史」を「適正価格」を知るためのツールとみなすことが可能だという事。これを仮に「Mr.マーケット的歴史観」と名付ける。具体的にはこうだ。かつて「共産主義」がもてはやされた。カール・マルクスによって提示されたこの考え方は一世を風靡した。つまり「躁うつ病を患ったクラスのみんな」に支持された。「共産主義は現代のユートピアだ!」と。それが具現化したのがロシア革命であり、中国の文化大革命であり、日本の安保闘争だ。では、その「適正価格」はどうだったのか?「Mr.マーケット的歴史観」に鑑みるならば、今更説明の必要はないだろう。時間の経過とともに「歴史」がそれを明らかにしてくれる。ファシズムにしても同じことが言える。ヒトラーを支持したのは「躁うつ病を患ったクラスのみんな」だ。そしてその「適正価格」がいかなるものであったかは今更語るに及ばない。「Mr.マーケット的歴史観」がそれを示してくれる。また、ヒトラーという個人にばかりスポットが当たりがちだがヒトラーという特定の個人がいなくても別の誰かがその役割を担った(担わされた)のではないか?ヒトラーを作り出した「躁うつ病を患ったクラスのみんな」つまり「大衆」こそ、責任を問われるべきなのではないか?その意味で個々の人物ばかりをクローズアップした歴史観は少し違うと思う。
 
 このブログをはじめから読んでくださっている方々はお分かりと思うが、私がこのブログで一貫して主張しているのは「感情の共有」には気をつけろ!だ。「躁うつ病を患ったクラスのみんな」とは言い換えれば「群集心理」に他ならない。そしてそれは「感情の共有」のなせる業だ。何も「感情の共有」が悪だとは言わない。ただ、「その子が本当に魅力的かどうか?」自分の五感で感じ、自分の頭で考える必要があると思うのだ。メディアに惑わされず。それが出来れば歴史は変わっていたかもしれない。

 繰り返しますが、ここで私の提示する歴史観をグレアム氏の表現をお借りして「Mr.マーケット的歴史観」と名付けます。既に知識人や研究者によって提示されている概念かも知れませんが、一応そのように命名しておきます。著作権や知的営為の成果を放棄するつもりはありません。
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