第36話 人類共有の記憶

文字数 1,459文字

 現在読んでいるマンガの1つに(『九龍ジェネリックロマンス』眉月じゅん 集英社)がある。この物語の主人公鯨井(くじらい)には記憶がない。はたして自分は何者か?と言う問いがこの物語の重要なテーマなのだが・・・。
 
 ところで私は昔歴史の教師をしていた。たった5年の間だったがよく生徒から「なんで歴史なんて習うの?」と言う質問を受けた。当時ははっきりと答えられなかった。でも今なら解る。歴史とは人類全体が共有する記憶だ。目をそむけたくなるような事もあるけど、きれいさっぱり忘れてしまうと言うわけにはいかない。何故なら、記憶が無かったら自分が何者かわからなくなってしまうから。言い方を変えるとアイデンティティーがあやふやになってしまうからだ。個人レベルで、民族レベルで、人類全体でそれぞれアイデンティティーは不可欠だ。家柄とか血筋とかそういう問題ではない。自分が何者かわからないのでは仕事が手につかなくなってしまう。それではいけない。そう考えるとダーウィンという人はすごい。ヨーロッパ人のアイデンティティーを根底から覆したのだから。「ねえ、うちら(人類)ってどっから来たの?」「そりゃあ神様がおつくりになったんだよ。」という当時の価値観をひっくり返したのだ。

 話は移るが今でもイタリア人はローマ時代の事を誇らしげに話すらしい。ヤマザキマリさんの文章にあった。また、スペインではいまだに大航海時代の余韻が街のあちこちに残っているとか、また、モンゴル人はチンギスハーンの偉業を昨日のことのように語るとか・・・。
これらのことは個人レベルで言えば、ご年配の方が自分の一番輝いていた頃のことを目を細めて若者に語るのと同じだ。個人にしろ、民族にしろ、自身が一番輝いていた頃にそのアイデンティティーを求めるのが常なのだ。
また、職場で子供たちと話をしていると解るのだが、彼らは自分の失敗を認めたがらない。まあ、誰だって寝小便の跡は隠したいものだ。その意味では大人になるとは自分の非を素直に認められるようになる事だと思う。そうやって個人が1つ1つの出来事を積み重ねて大人になっていくように、人類という種も1つ1つの記憶(歴史)を積み重ねながら分別のある大人な種へと成長していけたらいい。その為の記憶が歴史なのだろう。

 ただ、それとは別に誰にも望まれない事実と言うモノが確かにある。そんなこと知りたくなかったよ!と言うやつだ。そして多くの場合、そのような事実は隠蔽される。またはねじ曲げられる。もしくは捏造される。圧倒的多数にとって都合の悪い事実はそのようにして本来の形を変えられてしまうのだ。しかし、先に述べたように我々人類がよりましな種へと成長する為に正しい歴史が必要なのも確かだ。だから当事者たちの死後、何十年、何百年もしてから再びスポットが当てられる。望まれなかったはるか昔の事実を掘り起こす作業、それが歴史学の存在意義なのだろう。

 と、当時の生徒達にここまで理路整然と伝えられていたらなぁ・・・。そう思うと口惜しくもある。
 
 さて今回は歴史と歴史学とについてそれぞれ考えてみました。「何で昔のことなんか習うんだよ?」と思っている学生さんには少しは意味のある話だったのではと思います。

 ただ私自身の経験からして年号の語呂合わせには全く意味がありません。そして年号の語呂合わせを駆使してしか解けないような問題にも全く意味はありません。そんな問題を出すテストってどうなの?と今でも思います。どうぞ皆さん、本来の意味で学んでください!

ではまた!
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