第111話 挫折

文字数 1,089文字

 今、私の中でミスターチルドレンの楽曲イノセントワールドが熱い。車でも部屋でも暇さえあれば聴いている。はじめて聞いたのは確か高校生の頃だからもう20年以上昔の事だ。その頃はいい曲だと思っただけだったが、今聞いてみて妙に心に浸みるものが在る。曲想的にはなんてことないものだ。失恋なり挫折なりをした青年が立ち上がって自分を取り戻すために新たな一歩を踏み出す、そういうものだ。その曲が心に浸みるというのだから私自身そういう心境なのだろう。
 話しは移るが私には兄がいる。いわゆるサッカーフリークで仕事の時間以外はサッカーの話ばかりしている。13の甥っ子にもサッカーをやらせていてすごく熱心だ。サッカー漬けの毎日を送る甥っ子の心配をした母が「まさかサッカーで食べてくつもりなの」と聞いたところ、兄が答えて言うには「誰だって挫折する。挫折のない人生なんて自分の人生じゃない。大事なのはその次だ。そっからどうやって立ち上がるか?次の一歩をどうやって踏み出すか?その時に夢中になれるものが在れば、好きなものが在れば、それがきっと支えになってくれる。そう思ってサッカーをやらせているんだ。」これまた話は移るが、川崎フロンターレの中村憲剛選手が自身の年齢的に最後の代表選考に漏れた次の日にコメントしている。「代表選考に落ちてもう自分はワールドカップに行けないと思うと、そのことが頭から離れなかった。それでもやっぱりボールを蹴った。そうしたらその瞬間、ボールを蹴ったその瞬間だけは代表選考に漏れたことを忘れられた。代表に落ちたのもサッカーだけど、それを忘れさせてくれるのもやっぱりサッカーだった。」確かそんなコメントだったと思う。中村憲剛選手と兄の言っていることは相通じるものが在る。そうなのだ。誰だって挫折する。私だって挫折した。私の両親などは私が挫折せずに済むようなレールを彼らのできる範囲で精いっぱいこしらえてくれた。それでも私は挫折した。大事なのはその後だ。自分の力で立ち上がって、自分の足で歩きだす。その際支えとなってくれるものが中村選手や兄にとってはサッカーだったのだと思う。だからこそ兄は自分の息子にサッカーを思う存分にやらせているのだ。兄の言葉を聞いた時自然と頭が下がった。私には頭のあがらない人が何人かいて、そのうちの一人が間違いなく兄だ。
 話は戻るが中村憲剛選手や兄にとってのサッカーが私にとっての文章なのだと思う。彼らがサッカーをする事で、サッカーにかかわることで取り戻したものを、私はこのエッセイを綴ることで取り戻しつつあるのだと思う。そして、それは自分自身に他ならないのだ。
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