第312話 幼児教育の大切さ

文字数 1,292文字

この年になってようやくと言うべきか、気づいたことがある。

人を平気で裏切るやつにはすべからく友達がいない。

まあ、当然と言えば当然だ。人を裏切ってばかりいる奴には本心を話せない。何故ならいつ自分が裏切られるか解らないから。だから、上辺だけの付き合いになる。イコール友達になれない。そんなわけで人を裏切ってばかりいる奴には友達がいない。

寂しくはないのだろうか?
いや、寂しくないわけがない。人間だもの。

ではなぜ、裏切るという行為を直せないのだろうか?
それとも彼らは必要に迫られて裏切っているのだろうか?
だとしたらそんな人間関係からは足を洗った方がいい。
そんな綱渡りのような人生100害あって一利なしだからだ。

程度の差こそあれ、裏切りの最も初歩的な形態は

Aさんの前ではBさんの事を悪し様にいい
Bさんの前ではAさんの事をこっぴどく蔑む

と言うものだろう。
では何故これをやめられないのか?
衝突を避けているからだろうか?
それならば解らなくはないが、
ある程度の衝突はあえて避けずに本音を言った方がいい。
その方が長い目で見てコストダウンだし
健全な人間関係をはぐくめるからだ。

厄介なのは裏切るという行為が習慣化してしまっている場合だ。

信じるという行為と
裏切るという行為と

習慣化した方が良いのは
長く大きな視点でとらえた場合、
言うまでもなく前者である。
その方が社会に有益な事、火を見るよりも明らかだ。
後者が意味を成すのはゲーム内での場合においてのみだ。

さてここからが本題だ。

先程“習慣化”と言う言葉を用いたが、
人を信じるという行為
人を裏切るという行為
これらはいつどのように習慣化されるのか?

答えは
その人生の幼少期に
周囲の大人との関係性においてだ。

周囲の大人が“信頼”をもとにした環境を整えてやれればその子は他者を信頼する事を基礎基本とした人間関係をはぐくめるだろう。

逆に

周囲の大人が“裏切り”をもとにした関係、つまり他者を裏切ってばかりいたら、その環境で育った子供は“裏切り”を基礎基本とした人間関係しかはぐくめなくなるだろう。

その意味で幼児教育・児童教育とはとてつもなく大事なものなのだ。

もしこの文章をお読み頂いた方の中に、幼児教育や児童教育に携わる方がいらしたら、心して欲しい。同僚の陰口を子供の前で口にしていませんか?平気で人を欺いてはいませんか?

この前、ある方から「幼児教育程、大事なものは無いんだよ。幼児教育程、優秀な人材がやらねばならないんだよ」と聞いた。

その意味が文章を書き進めながらよく解った思いがする。一言に優秀な人材と言っても、それは何もペーパーテストで高得点をたたき出す事ではない。人として他者に向き合う姿勢や、人生に対する態度。それらの事をひっくるめての「教養」に裏打ちされた人という事なのだろう。

果たして私などが携わって良い仕事なのだろうか?
身が引き締まる思いがした。

角度にして僅か1度の違いが特に行くほどにその差異は大きくなる。人生の幼少期におけるたった1度の違いがその子の人生を大きく左右してしまう。

そんな良い意味での緊張感を持ちつつ日々の職務に望まねば!
その様に感じた1日だった。
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